麻薬とジャズと大衆芸術:詩と思想 1974.11/No10 VOL.3麻薬とジャズと大衆芸術(3):康芳夫×木原啓允×関根弘(司会)

麻薬か自殺か野たれ死にか

木原 あのころ、まあ日本のジャズ評論家なんかが考えてるモダン・ジャズなんていうのは、一時のインテリが日活ロマンポルノを見るようなもんじゃなかったのかな。

康 ただ、モダン・ジャズというのは、日本においてはあれ以来確実に土壌がはぐくまれて、いまや日本からミュージシャンが出るようになってきたですね。あのころのバンドボーイの連中ですよ、いま活躍しているのは。日野晧正とか・・・・・・そういう意味ではアート・ブレーキーの来日は一種の事件で、エポックメーキングになったことは事実ですね。

木原 ちょうどドラマーの白木秀雄なんかがトップクラスでね、あのころは。日野晧正あたりで、日本のジャズもある程度レベルアップしたわけ?

康 インターナショナルな評価を得たことですね。アメリカへ行って、めしは飲えないが倉庫みたいなところに住んで修行して・・・・・・ニューヨークでレコーディングしたんですね。

関根 絵かきがパリに行くみたいに(笑)、滞米作品だね。それにしても進歩したね。

康 それが商品価値を産んだんだけど、帰ってきてからね。それと、彼らは麻薬を持ちこんで、日本のジャズマンに麻薬を教えたんですよ。そのためにいろんな間題が起きたわけですよ。八木正生氏とかね、いま「網走番外地」なんかの作曲してる。彼がまあ警察にあげられて、ジャズ関係の麻薬のハシリみたいになっちゃった。彼の場合、主体的に麻薬を選んだっていうより、ムード的な状況の中でマネをした。クオーリティ自体が一つのファッションだから、すべてをのみこむ状況があって、その中での一つのラリった形熊にすぎないともいえますがね。LSDを飲むってことも。

木原 いま思うと、でも、赤軍派じゃないけど、何かこうジャズの雰囲気には特殊な、解放区への志向みたいなものがあったな。

関根 一つの小さな解放区だと思う。しかし、それがファッション化すればもう解放区の意味はないわけだな。だからやっぱり形骸化しないところでやろうと思えば・・・

康 もっと壮烈に麻薬にのめりこむとかいったことになる。しかし、本当に自分のものを生むために麻薬をね。そのために犯罪おかしたりしても、つまり破滅に追いこまれても自分の芸術をつくる意志を持ってるジャズマンというのは、日本じゃないでしょ。

関根 あれはやっぱり、もとに戻らなくなるの? 頭の構造が? 少し狂っちゃうという話だけど・・・・・・

康 でも、さっきいった八木氏なんかの例を見てますとね、ひじょうにリカバーしてる感ですね、あとは。

木原 詩人にしてもコクトーやボードレールもだいぶやったし・・・・・・いまの詩人は学校の先生かなんかやったりさ、会社の重役やったりして(笑)、本当の詩書くやつは、まあ麻薬飲むか、マヤコフスキーみたいに自殺するか(笑)

関根 のたれ死にするか・・・・・・

木原 まあ関根先生がどうなるか知らんけど(笑)。

関根 いや、だからぼくは思うんだよね。大体芸術とかいってね、学校で月給もらってて詩を書くとかっていうのは、本当の詩はやっぱり書けないんじゃないかな。これ乞食のやることだからな、詩を書くなんてのは。少くともきれいごとじゃないんじゃないの。

・・・・・・次号更新【クスリがききすぎても駄目】に続く