麻薬とジャズと大衆芸術:詩と思想 1974.11/No10 VOL.3

麻薬とジャズと大衆芸術(7):康芳夫×木原啓允×関根弘(司会)

砂のような大衆の願望

康 しかしモナリザの場合もやはり砂のような大衆の要求があったってこともいえる。

関根 そうそう、永遠の微笑とか、何とか、何かあるわけ、ナゾなんだ。何かクェッションがあるわけだから、それに対してこしらえなきゃいけない。

康 そのでっち上げっていうのが、つまり「虚業家」の使命なんです(笑)。

関根 そうだ(笑)。だってネス湖の怪獣なんて、こんなのいないに決まってるんだよ。もしいたら幻滅なんじゃないか(笑)。

康 だからね、ぼくはそれをつくらなきゃいけないというんで・・・・・・ぼくのネス湖の怪獣探険も、あれは圧倒的な要望に応えたわけですよ。

木原 願望にね。

康 支配する階級の願望にも、支配される階級の願望にも応えたわけです(笑)。まあ、スーパークラス(超階級)ですよ。

木原 さっきぼくがいった、国家権力なんかのないところでの、資本と砂のごとき大衆を結ぶ接点なんだよ。

康 つまり空中楼閣の設定がいる。それが虚業家ということで。

関根 だからネス湖の怪獣がいると困るんだな。願望だから。

康 あれはエビデンスはあるんですがね。ひじょうに科学的な---だけど基本的にはぼくとしては、いまいわれたような願望という心理的メカニズムにうったえかけたわけです。

関根 エドガア・ポーなんかは、サギっていうのを一つの科学として考察している。そういう小説があるけど、最後にニタニタ笑うわけだよ。誰も知らないところで。でも、そのポーが最大のサギは銀行だといっている。

木原 うん、そうだ(笑)。

康 つまり根本的なメカニズムっていうのは、つまりフクィションなわけだから。たとえば資本主義社会には色んな問題があるけど、根本的には偽造紙幣でつくられたメカニズムですよね。つまり印刷機の中から生まれてきたフィクションでしょ。フィクションをつくって、不渡手形を大衆にわたしている。下部構造がそもそもフィクションだから、全部がフィクションになるのは当りまえでしょ。ぼくのネス湖の探検なんてのは、いわせてもらえばひじょうにクリエーティブなフィクション。政府がニセ札をプリントするなんていう、そんな低次元のものじゃない、と思いますがね。

木原 まあ、そういうフィクションをあなたは、ずいぶん熱心にやった。

康 だから、いまいったように、基本的にフィクションであるような構造の中で、それに対応する構造にアプローチしていくものが、やっぱりフィクションとして必然的に出てくるってことですよ。

関根 うん、うん、そりゃ賛成なんだ。

康 おそらく、サギやってるわけじゃないですよ(笑)その---砂のように冷酷な大衆の願望に応えているということになるわけでね。

関根 クリエーションだよね。

・・・・・・【麻薬とジャズと大衆芸術】了