「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん):『潮』昭和58年(1983年)1月号より

唐突に沼正三問題が出てきた背景・・・・・・(1)

『ヤプー』の筆者問題は、今に始まったことではない。それが何故、今、突如出てきたのか。その疑問がどうしてもついて回る。

今年の初めごろ、『奇譚クラブ』の吉田氏が亡くなられたとか、今回初めて知って、改めて哀悼の意を献げたい。吉田氏は、関係者に絶大な信用を得ていた。

『奇譚クラブ』は、営業誌であって営業誌でなかった、吉田氏ほ他に自営業者であり資産もあり、雑誌は純粋に彼の道楽であった。功名心なく営利もない、そして関係者のプライバシーに関しては、断断乎として口の堅い人であった。往年の特高の拷問にあったとしても、口を割らない、それが浪花っ子らしい道楽人の骨頂というものであろうか、吉田氏には、期せずして厚い信頼が寄せられる。名も金も要らない、真実書くことのみが目的の価値ある原稿が彼の許に蝟集したのはその信頼あればこそである。このような雑誌が、今どこにあろう。

昭和四十五年当時、沼正三探しは今回より過熱していた。イの一番に、当然、吉田氏の所にも取材陣は殺到したはずである。彼はいっさいにロを緘しつづけた。

誰に頼まれたからでもない、それが道楽人のキップというものである。今でも、知り抜いている人たちは口を緘する。何も知らぬ者のみ、叫び立てる。森下君は、知る者は三人のみ、とのたまうが、ならば、その肝心要の吉田氏は、つい昨日までご存命ではなかったか。なぜその折にこそ、堤君と組んでの一旗興行に打って出なかったのだろう、まるでご本人死亡を待ち構えるように、死人に口なしの時機至りての興行は偶然のことであろうか。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載15】に続く