沼正三と天野哲夫・・・・・・(1)
天野君については詳しくご紹介する必要もあるまい。永年「沼正三」代理人を自称するとともに、あたかも「沼正三」本人でもあるかのごとく振るまってきた人物である。彼は『潮』(八三年一月号)にこう書いている(文中の「K氏」は倉田卓次判事のことを指す)。
<K氏は、しかし先述のように、連載に先立ち『ヤプー』の内容とそのストーリーの展開について、あらかじめ知っていた数少ない人の一人である。その知識のもとに、真面目らしい文通を森下君と交わした、といったことを、座興として聞いた記憶がある。そういえば、私も便乗して何通か、ほかにも一人、森下君へ通信をよこしたはずである。これはだが、これこそがダマシ絵のような大人のアソビというもの。ところが、マジメな森下君には、沼正三の本体について、かなりの錯乱呼んだようである。思えば、気の毒したとも反省するが>
いわんとするところはこうだ。K氏は『ヤプー』の作者を装って森下と文通した。それが出来たのは、K氏が『ヤプー』の内容とストーリー展開を、あらかじめ知っていたからだ。アソビ心のわからん森下は、これで他愛もなくダマされた---。
が、ちょっと待っていただきたい。他人をかつぐ場合、大きな嘘をつかないことには、かつぐ愉しみも半減する。倉田氏が『ヤプー』のニセ作者になりすまして得られる喜びは、『ヤプー』は戦後最大の奇書であるという、大きな評価があって初めて成立するのであって、つまらない小説の作者になりすまし、それをネタに人をかついだとて、面白かろうはずがない。
しかるに、倉田氏が『ヤプー』の構想を書き送ってきたのは、まだ連載が開始される前である。この作品が、三島由紀夫も絶讃するような、しかも文庫本に収められて”市民権”を得るような大小説になろうとは、誰が想像し得ただろう。おそらく作者、倉田氏にしてからが予想もし得なかったに違いない。そんなものをネタに人ががつげるとは考えないのがふつうである。
・・・次号更新【『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・連載42】に続く