沼正三は私である・・・・・・(2)

「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん):『潮』昭和58年(1983年)1月号

戦後最大の奇書と評価された(もちろん批判者もいる)『家畜人ヤプー』は、筆者不明のまま四半世紀以上が経過しながら、文庫版(角川書店)では堅実に版を重ねつつ、今もって筆者探しの興味がくすぶっていたとは、ひとえに同書に対する評価が各界で予想以上に高かったことに帰する。実の筆者としては、これは過褒にすぎて面映ゆい。反面、同書のあまりにも奇妖な変化ぶり、SMという風俗現象と蜜月状態よろしく手を取り合っての道行きぶりが、読書人士の猟奇心をくすぐるところあってのことにもよったであろう。

そこへ、突如、筆者はK氏である、と、強く断定しての『諸君!』のスクープは、それが迷いのない断定であることで、それなりの効果は果した。筆者・森下君の迷いをむしろ叱咤するように、これを断定的に言い切らせたのは堤君のマスコミ人としての骨法から作定されたのではないかと思う。

なるほど、私には取り立てての学も才もない。一介の窓際サラリーマンにすぎない。一方、名指されたK氏は、エリート中のエリートで、「沈の香の杜詩に沁む夜や雪の声」、窓外雪静かにして小室燈火寒きがもとに書巻に向うことを唯一の快事とする、典型的書斎人である。私とK氏とでは、格が違う、さてこそ、K氏にならば書けるであろうが、天野如き正体不明の胡乱な男に、あれほどのものが書けようはずがない、と、これまた断定的に説得されてしまった読者も数少なくないであろうことがよく了解できる。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載3】に続く