アミン大統領(7):内戦、そしてアミンの追放
ようやく羽田空港にもどってほっとした私は、さっそく行動を開始した。全権プロモーターは私、康芳夫、レフェリー、モハメッド・アリ。そして対戦するのが日本を代表するレスラー、アントニオ猪木 VS. 人食い大統領、イディ・アミン。まさに黄金の役者がそろったのである。
アリと猪木がOKした時点で、ニューヨークと東京で同時記者会見を開き、世界中のマスコミが蜂の巣を突ついたような大騒ぎになっていた。アリがニューヨークのホテルで記者発表をやり、京王プラザでアントニオ猪木と並んで私が記者会見した。記者たちは興味津々といった面持ちで矢継ぎ早に質問を浴びせた。
ルールは?
大使館はOKしているのか?
本当にアリがレフェリーをやるのか?
テレビ中継は?
アミンは人殺しではないか?
などなど。
いつものように冷静に記者たちを手玉にとった私は、この試合は世界中が注目するぞ、とその手ごたえを感じていた。
・・・アミン大統領:続く
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アミン大統領、アントニオ猪木と対決:朝日新聞(1979年(昭和54年)1月26日 金曜日)
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