レフェリー・アリ、呼び屋・康氏・・・役者ぞろい!!:東京中日スポーツ(昭和54年1月26日)

アミン大統領(3):食人大統領 VS. 猪木

実は、このアミン大統領は東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンという輝かしい経歴を持っていたという情報をつかんでいた。政治的には国際社会から非難の集中砲火を浴びている人物だが、まさに虚業家、康芳夫にとっては格好のターゲットだ。あるルートを使って入手した、当時の試合のフィルムを見ながら「これはいけるぞ」と私はほくそえんでいた。そしてさらに、彼には重要なファクターが二つ含まれていた。一つはアミン大統領は凶暴だが熱心なイスラム教徒だ、ということ。そして、もう一つは彼が大変な親日家である、という事実を私はつかんでいたのである。

アミン大統領は第二次世界大戦の時、ビルマ(現在のミャンマー)でイギリス軍の一兵卒として日本軍と闘った。日本軍とは闘ったが、イギリス兵に馬鹿にされながら奴隷のようにこき使われた彼は、イギリス軍を憎んでいた。そのイギリス軍を日本軍が一時、ビルマから追いだし、独立の布石を作ったことを彼はとても評価していたのだ。終戦後も山口県の岩国に半年ほど駐留したアミンは、のちに日本の工業力や神風特攻隊の精神力のすごさなどを周囲の人間に語っていたという。そんな親日家の側面が、自国を植民地にした英国に対する反大英帝国主義としてイギリス人に対する憎悪をむきださせたらしい。

・・・アミン大統領:続く

アミン大統領、アントニオ猪木と対決:朝日新聞(1979年(昭和54年)1月26日 金曜日)