アミン大統領(12):内戦、そしてアミンの追放
しかし当時、三◯代半ばでネッシー、オリバーとそれまでの呼び屋とは異次元の新境地を切り開いた、と自負する私はあきらめきれなかった。むろんいまでも心残りな企画として、この試合が実現できなかったことを非常にくやしく思っている。つい最近、サウジアラビアにその後いすわったアミンの死亡記事が出たが、当時のあれこれが鮮明に頭をよぎってしまった。私は心から冥福を祈って弔電を打った。
私は、その後しばらく、連日連夜、銀座に繰りだして、くやしさを晴らすべく何軒ものクラブをはしごしてまわり、宵闇に無念さをぶつけていた。
・・・アミン大統領:了
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ウガンダのアミン大統領 VS アントニオ猪木の「世界格闘技選手権」という奇想天外なイベントを発表する康芳夫氏と猪木。