レフェリー・アリ、呼び屋・康氏・・・役者ぞろい!!:東京中日スポーツ(昭和54年1月26日)

アミン大統領(12):内戦、そしてアミンの追放

しかし当時、三◯代半ばでネッシー、オリバーとそれまでの呼び屋とは異次元の新境地を切り開いた、と自負する私はあきらめきれなかった。むろんいまでも心残りな企画として、この試合が実現できなかったことを非常にくやしく思っている。つい最近、サウジアラビアにその後いすわったアミンの死亡記事が出たが、当時のあれこれが鮮明に頭をよぎってしまった。私は心から冥福を祈って弔電を打った。

私は、その後しばらく、連日連夜、銀座に繰りだして、くやしさを晴らすべく何軒ものクラブをはしごしてまわり、宵闇に無念さをぶつけていた。

・・・アミン大統領:了

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『猪木・アミン 戦』記者会見(康芳夫)

ウガンダのアミン大統領 VS アントニオ猪木の「世界格闘技選手権」という奇想天外なイベントを発表する康芳夫氏と猪木。

仕掛け人は”例の”康芳夫氏:スポーツニッポン(昭和54年1月26日)