アミン大統領(10):内戦、そしてアミンの追放
一九七八年一一月、アミンの軍隊がタンザニア西部の国境地帯を占領したが、タンザニア軍は一九七三年に結成された反政府軍、ウガンダ民族解放戦線とともに逆にウガンダに反撃、侵攻して一九七九年四月にカンパラを陥落させ、アミンは家族や側近、そして三〇人以上もいた愛人とともにサウジアラビアのダッカに逃亡したのだ。
ニュースを聞いた私は耳を疑った。いまとちがって、当時はインターネットやCNNのような世界的なニュース速報はまだ確立されておらず、私は必死に世界の友人たちに電話をかけ、最新情報をかきあつめた。しかし残念ながら、逃亡はやはり事実だったのだ。これにはさすがの私もどうにも手の施しようがなかった。裏から手をまわして何とかなる、という問題ではない。
内戦、国外逃亡という事態になるとは私もゆめにも思っていなかった。もちろん、アミンの独裁政権がいつまでも続くとは思っていなかったが、こうももろく崩れるとは信じられなかった。国を追われたアミンを、もはやリングに引きずりだすことはできない。残念だが私もあきらめるしかなかった。電話で中止を伝えたアリや猪木も、非常に残念がっていた。NBCのスタッフも非常にくやしがっていた。そして、残務処理費用として五〇〇万円をNBCは支払ってくれた。
日本、アメリカ、アフリカ。国を越え人種を越え、宗教を越えた幻の世紀の異種格闘技戦。いまこそ、K‐1やプライドなど日本中の老若男女が異種格闘技の熱いファイトに一喜一憂し人気のスポーツとして定着しているが、まさにその原型ともいえる企画だったのだ。これが実現していれば、歴史に残る名(迷)試合になっていたことはまちがいない。私の生涯でいちばん残念な企画だ。
・・・アミン大統領:続く