”沼正三”会見記(1991年12月)

”沼正三”会見記(1991年12月)共同通信 文化部 小山鉄郎(現 共同通信 編集委員)

康芳夫:「ご紹介します。沼正三さんです」---

そんな言葉に促されて、私は“沼正三”さんと名刺を交換したのだが、受け取った名刺には「沼正三」の名は無く、天野哲夫と記してあった。そこには天野さんの勤務先である新潮社や自宅の住所や電話番号も書いてあったのだ。

二十一年前のベストセラー『家畜人ヤプー』の完結編が十一月末に刊行されるという。それに合わせて、前編にあたる「正編」の改訂増補《完全復刻版》『家畜人ヤプー』も十月下旬に刊行された。その作者“沼正三”さんにインタビューする機会があったのだが、果たして沼正三に至りつくことができるのだろうか。私はそんな気持ちでいた。

「奇譚クラブ」昭和三十一年十二月号から二十回にわたり連載された「家畜人ヤプー」は、三島由紀夫がその二十回分すべてを切り抜いて持っていたというほど、知る人ぞ知る「観念小説の最高傑作」だったが、作者の方も当初から謎に包まれていた。紆余曲折を経て昭和四十五年に出版された時も三島由紀夫説、澁澤龍彦説、また医学的ペダントリーや正確な言語学的な知識のため医者や大学教授説、複数作家説まで飛び交った。そして代理人・天野哲夫さん=沼正三説も根強かった。

その中で最も話題となったのは昭和五十七年、「諸君!」十一月号に発表された森下小太郎氏による倉田卓次東京高裁判事(当時)=沼正三説で、これは「諸君!」発売当日の同年十月二日読売新聞夕刊に社会面トップで報じられた。倉田さんは全面否定、代理人の天野さんは倉田さんへの影響も配慮して「近く私が作者であることを明らかにする」と読売新聞で語っている。この時も天野説支持派と天野説疑問派とに意見が分かれたようだ。

この『家畜人ヤプー』では、二十世紀の末に地球で起きた第三次世界大戦の時、たまたま宇宙探検のため光速宇宙船で地球を出ていたイギリスの白人たちが、帰還後再び地球を飛び立ち、宇宙にイース帝国を建設する。それから二千年後、その後裔たちが航時遊歩艇(タイム・ヨット)で地球別荘に遊びにくるのだが、機械の故障で一九六×年に着陸。そしてたまたまそこにいた日本人青年麟一郎とドイツ娘のクララの恋人同士の二人を連れ去る。その宇宙帝国イースは白人女性による完全な女権社会で、黒人は奴隷、さらにヤプーと呼ばれる日本人は尿や便を口で受ける肉便器(セッチン)などとして完全に家畜化している。そしてその後、イース世界に白人の一員として迎えられるクララとヤプー化していく麟一郎との数奇な運命を描く壮大なマゾヒズムSF小説である。

今回もインタビューの力点の一つはいったい沼正三とは誰かという点にあった。だが、その問題はひとまず横に置いて、この主人公麟一郎同様『家畜人ヤプー』のたどった数奇な運命をたどってみたい。

『家畜人ヤプー』は「奇譚クラブ」に二十回第二十七章まで連載された後、昭和三十四年九月号で中絶。その理由は「くたびれてしまったのと、やたらと手直しや注が多く、雑誌側もそれにいちいち応じられないことが重なったため」と天野氏はいう。三島由紀夫の推輓で中央公論社で出版の話が進むが、「『風流夢譚』事件が起きたせいもあったのか、話は自然と立ち消えになってしまう」。その後、徳間書店から話があって、装丁もでき後はもう出版だけというところまできていた。それが最後のところにきて『家畜人ヤプー』(正編)の最終部分である第二十五章「『高天原』諸景」以降を削ってくれないかという話が起こった。

この「『高天原』諸景」以降には古事記、日本書紀の読み換えが行われている部分で、「天照大神は実は白人の女性アンナ・テラスである」などと記されている。「配本直前になって、この部分をとっても作品として成り立つから、とってもらえないかという話だった。この話は蹴ることになりました」

さらに桃源社からのアプローチもあったのだが、そこに天声出版の雑誌「血と薔薇」の編集者から電話があり、昭和四十四年「血と薔薇」第四号に続きの章が掲載される。そして天声出版を出た矢牧一宏が作った都市出版社によってようやく昭和四十五年二月、『家畜人ヤプー』の単行本は刊行が実現する。

しかし、今度は都市出版社が右翼に襲撃されるのである。昭和四十五年六、七月に関西系の右翼が押しかけ、「日本民族を侮辱するものだ」として威したり、社内を目茶苦茶にしたりして逮捕され、新聞や週刊誌に大きく報じられる。ところが皮肉なことにこれがきっかけとなってベストセラーになる。

今回刊行されたばかりの『家畜人ヤプー』改訂増補《完全復刻版》に寄せられた沼正三の「はしがき」によれば、完結編を含め全四十九章となる『家畜人ヤプー』の完結編の「あとがき」で「日本と日本人が二十一世紀を果たして生き抜けるかについての疑念を表明し、祖国の衰退滅亡を願わぬでもない非国民的心情を告白した」ことが明かされている。

「お前が得意になって妾に喋ってたヤマトダマシイは、<東洋の精神文明>は、どうしたの?」

「クララ。自由平等や男女同権を定めた日本の憲法は、占領軍が作って与えたんです。人権自由は日本人独自のものじゃない。植民地の独立運動を支えた諸民族平等の理念だって、東洋にはなかった。人類社会の指導理念と言えるような大思想はみんな西洋の・・・・・・」(略)「・・・・・・じゃ、お前はイースの階級制度を、ヤプーの差別待遇を認めるのね。イースの白人に無条件降伏するのね」

「そう、その<無条件降伏>です(略)」

「S&Mスナイパー」誌に今年三月号まで三十八回にわたって掲載された「続家畜人ヤプー」の最終章「無条件降伏」の中に、かつての恋人同士である主人公クララと麟一郎とのこんな会話もあるのだが、これもそんな”非国民的心情”と対応しているのだろう。日本民族派を強く刺激するものはこの作品に一貫して流れているようだ。これらについて天野さんはこういう。

「人権や民主主義というのは、全部手とり足とり西欧人から教えられたもの。何か十分に咀嚼しないうちから、自明のこととして民主主義のお通りだ!というのはいやですね。人命は昔は鴻毛よりも軽かった。だから喜んで死ねるということになっていた。それが途端に地球よる重いと。納得できないですよ」

そしてマゾヒズムの世界観については、こんなふうに語った。「昔、若者たちが日本から出て初めて日本が分かったように、宇宙飛行士が地球から飛び立って初めて地球の姿を発見するように、正常な世界を飛び立って異常者になることによって、正常なる世界が見える。これは天動説と地動説との違いであるとも言える。科学史上は天動説が打ち破られて地動説が常識になったけれど、心情的にはなかなか天動説から抜け出せない。あくまでも中心はこちらにあるという考え方。だが地動説というのはこちらは片片たる辺域であって、中心は彼方にある。彼方に吸収される部分としてこちらがあり、生きている。頭の上での理解ではなく、そういう皮膚感覚をマゾヒズムというんです。そういう巨大で、無限な時間だとか、空間だとか、外側にあるものが中心だという感覚なのです」

また天野さんはこんなふうにも語った。

「日本の大革命を志した吉田松陰が、まだ日本国というものが現実にはありえない時に、つまり維新期の革命家の前に日本国がSF的な世界としてあった時、その統一されたSF的日本国家への願望のためには、長州藩の一つや二つなくてもかまわないと言っています。長州藩や薩摩藩に対して当時の人々は今の人が日本国というものに持つのと比べものにならないほどの帰属意識を持っていたはず、それを超えて夢みたいな幻の国の誕生のためにはそれがなくてもいいと言っている。そうでなくては革命なんかできはしません。宇宙飛行士が宇宙からみたら国境なんかなかったという発見と吉田松陰の描いた夢は同じです」

「・・・・・・と沼は言うのですが」・・・・・・昔の新聞や雑誌の切り抜きを見ると、天野さんはしばしそういう間接話法を使っていたようだ。しかし、二時間近いインタビュー中、一度も天野さんはそんな間接話法を使用しなかった。沼正三さん本人が語る語り方にほぼ近かった。

そして、「ご紹介します。沼正三さんです」と最初に紹介してくれた康芳夫さんがインタヴュー中、私の横にいて天野哲夫さんが沼正三であることを何度か述べてくれた。その康さんは『家畜人ヤプー』が都市出版社から刊行された時以来この作品とかかわっている人なのだ。しかし、彼はネス湖の怪獣探検隊を組織したり、ハイチで日本人空手家とベンガル虎との闘いを企画したりする有名プロモーターで、日頃は我々の平板な価値観の紊乱者である康さんを私は愛する一人であるが、こういう場合は『虚業家宣言』という著書もあり、「ホラを実に転化させる。この醍醐味がたまらない」と豪語する氏からの情報はますます私の頭の中を攪乱させるばかりだった。

「平凡社の『現代人名情報事典』には沼正三、本名天野哲夫と載っていますけれど、自分からはっきり当人だと明言したことは一度もありません」と天野さんは言う。「当初は沼正三さんの代理人という形でしたが?」と聞くと「今も代理人です」という。

『家畜人ヤプー』(正編)の「はしがき」には完結編執筆について「作者としては、当初から続編を書くつもりでいたのであるが、それを拒んだのは、沼正三というペンネームの本人探しということで、知人ではあるが作品とは無関係なK氏に累が及ぶことを危惧したためであった」と記してある。天野さんはこのK氏が倉田卓次さんであることを認めた上で、複数説についても、「積極的にいろいろな部分について取材に応じてくれた人も一人二人います」。倉田さんがそういう助言をしてくれたことは「否定しません」。

匿名性を保とうという著者に対して、その仮面を剥ごうという行為はあまり、愉快な行為ではない。著者が死んでしまえば作品に込められたものしか残らないし、作品だけが残れば十分とも言える。だが、みな生きているために、そこの場所だけに止まることができない。私も沼正三は誰なのか知りたいし、代理人も匿名の周辺だけにとどまってはいない。

インタヴューの後、幾つかの取材を重ねてみた。『家畜人ヤプー』が出版される時などの著者校閲は天野さんがやっているし、天野さんが人前で沼正三のサインを『家畜人ヤプー』にしている事実もあるようだ。また沼正三=倉田卓次さん説の直後に出た最新版『劇画家畜人ヤプー』(一九八三年一月刊)に天野さんが「残念ながら名乗り出て」という文を寄せており、森下小太郎氏の記事に対して「『家畜人ヤプー』の筆者は私自身であることを、悔しいながら明記せざるを得なくなったのである」と天野さん自身が記している。また一九八四年四月二十日の山形新聞に天野哲夫の名でエッセイが載っており、筆者の経歴に「主著に『家畜人ヤプー』『ある夢想家の手帖から(全六巻)』(以上沼正三名)・・・・・・」とあって、さらに「<注>この略年譜は筆者が作成したものです。」とある。

つまり今の状況はほぼ天野さん=沼正三と考えてもいいとも言える。それでも幾つか、私の中で気になることがあるのだ。それは天野さんが自分で沼正三であることをいったん明記したにもかかわらず、再び沼正三の代理人としての立場に戻りつつある印象を受けるからだ。一九八七年に天野哲夫の名前で刊行した『禁じられた青春』では「沼正三・代理人というのが私である」と記されているし、私のインタヴューに対する答えも同じだった。

また森下氏の倉田さん=沼正三説にも、多くの手紙の引用などに強いリアリティーがあるし、それを伝える読売新聞の記事にもそのことの裏をとった形跡が記事に反映している。特に主人公の「麟一郎」という珍しい名前について、戦争直後の有名な同人誌「世代」の初代編集長である遠藤麟一朗と倉田卓次さんが知合いであることなど、印象深い指摘もある。(1)

そこで裁判官を退官して、現在は公証人である倉田卓次さんに電話で話を聞いた。

「本ができた時は贈ってくれました。あの騒ぎの時はたいへんでした。後で迷惑をかけたと天野さんが訪ねてきた。その頃までは文通があったのですが、それ以来文通もなくなってしまった。彼は『奇譚クラブ』にいろいろなペンネームで書いてましたし、私は彼が沼正三だと思っています。私はこの件は関係無いですよ。完結編については知らなかった。本になればまた贈ってくれるかもしれませんね」

至りつきそうで至りつくことができない。そのような場所やものは、いま魅力的である。『家畜人ヤプー』の著者も、そんなもののひとつなのだろう。

(1)主人公「瀬部麟一郎」の名については、マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」の主人公ゼヴェリーンとの関連も考慮すべきだという指摘が、その後、天野さんからあった。

・・・・・・了

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あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ #三島由紀夫

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