最強対談:沼正三 VS 団鬼六(STUDIO VOICE Vol.267 MARCH 1998より)

最強対談:沼正三 VS 団鬼六(STUDIO VOICE Vol.267 MARCH 1998より)

最強対談:沼正三 VS 団鬼六 スーパーバイザー・沼正三全権プロデューサー / 康芳夫・・・8

最強対談:沼正三 VS 団鬼六 スーパーバイザー・沼正三全権プロデューサー / 康芳夫

沼 そうそう、文壇人。

康 ある日突然、朝日新聞の日曜日の読書欄で大きく取り上げたんですよ、これは非常に画期的な事件だなあと。やっぱりああいう権威的なメディアでもそういう変質的な差別的な概念がもう消えてきたのかなっていう意味においても画期的。そこら辺でやっぱ変わってきてるんだなあって。

団 変わってきてます。全然変わってきてます。

沼 それとあの、純文学とね、大衆文学との違いが一体どこにあるのかってこともね、そんなこといえばね、偉大な風俗小説はね、結構狭隘な純文学に勝るという、どこかにね、通俗性がないとね。『戦争と平和』だって、偉大な通俗性を内にはらんでこそね。大衆小説そのものなんですよね。それであって純文学でしょ、ほんと境界がない。けれども人間て日本は特に前はね、富士山のように序列が、一番最頂になんていうか、白樺派がね、鎮座ましましてね、そのご神体があれだったんですよ、志賀直哉。その下の方にだんだん順々に、まあ谷崎さんやなんかはあれは純文学といわれてなくてね、悪魔派だのなんだのと。そして下の方に大衆派の人たちがいて、更にその下には、下にいわゆる風俗雑誌っていう小説類があって、更に地下文学なんていうのがある。そういう三角形をなした序列社会であったわけで、どこを三十八度線に切れるかどうかって本当はあり得ない。

---「美少年」なんか完全に純文学っていっていいような気がします。

沼 よく書かれているか、まずく書かれているか、その違いですよね。

康 お二人は、そういうものを取り払うためにいろんな努力をされてきた、先駆者であったわけだ(笑)。

沼 ずっと僕はねえ、少数派が好きなんですね。大勢いてその中に少数派がいるとしますね、そうすると必ず義経贔屓じゃないですけど、少数派の肩入れをするという、変に。だから偉い奴が嫌いだし、威張っている奴は嫌いだし。ところがこれがあまりにも市民権を持ちすぎてですよ、それが当り前になって、広く解放されちゃったらね、これまた寂しいことでね。

康 その矛盾はありますよね。いつもおっしゃってることなんだけど。

沼 プライドとしてね、理解されてたまるかというね、それもあるでしょ。ちょっと矛盾とおっしゃったけど。

康 そうですね。それはもう絶対矛盾だっていうことですよ(笑)。

団 僕、文学でも通俗小説でも同じだと思うんですよ。団さんもう文学に変わってくださいっていうのね、そうすると同じじゃねえかよって。大衆もね、純文学もね、得るものは同じじゃないかって。

・・・次回更新に続く

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Modern Freaks Inc. Presents『家畜人ヤプー倶楽部』 vol.3 Executive Producer 康芳夫

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