都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

日本神話を脱構築する:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その31

第二次世界大戦と第三次世界大戦との間の一時期、彼らは狡猜にもエコノミック・アニマルに変身し、鎖国的貿易管理によって経済復興を遂げ、再び増長し、僧越になった。先進欧米諸国は開国するよう勧告したが、彼らは頑迷でずる賢く、改善策をいやいや出し惜しみ、さらに遷延させた。そこで欧米諸国は『日本叩き(ジャパン・バッシング)』と称して国際的吊し上げを行なったところ、一転、土下座陳謝外交で卑屈な反応を示し、経済的鎖国を廃止した事実がある。

欧米諸国つまり白人(にんげん)たちは、この経験によってヤプー族に対しては白人同士の間でのような論理による説得よリ、実力によるこらしめや脅迫のほうが有効だと言う事を悟った。この、ヤプーがまだ人間の仲間入りをしていた時代の『日本叩き騒の経験は、イースにおいて日本人が家畜人ヤプーとして扱われるようになった時、個畜訓練上の『打擲効果』の理論を基礎づけた。調教は理屈でなく、まず殴って主人の怖さを身体に覚えさせるのが第一、ということである(一二三頁)。

この注釈が大切なのは、その論理において、前述したヒトラーによるユダヤ人虐殺問題と連携してくるからだ。『ヤプー』テクストには随所に「かつて狡猾だった悪いヤプー」のイメージが散乱しているけれども、それは、まさしくヒトラーを心理操縦したヤプーという言説がドイツ人学者の詐術だった可能性が高いのと同じく、あくまで西欧的自由主義においてのみ保証されたイメージであろう。マサオ・ミヨシはその卓越したジャパン・バッシング分析の中でこう述べている。「啓蒙主義が自由・平等の保証とともに普遍的市民権を宣言したとき、『個々の市民』とは単に『人間』と考えられた。・・・・・・しかし・・・・・・自由と平等を保証された個人は、もちろんただ『人間』というのではない。それは白人男性、異性愛の白人、有産の白人であった---他のすべて、実質的には人類すべてが排除されたのだ。女性、肌の色が黒、褐色、黄色の人々、アメリカン・インディアン、同性愛者、貧者は排除されたのである」(「世界のバッシャーとパッシング」、三三頁)。

してみると、ヤプー種族の傲慢という印象は、あくまで西欧近代的「自由」という狭義の枠内における言説効果(スピーチアクト)であったかもしれない。へーゲル、フロイト、コジェヴ・・・・・・だが、そのような言説効果を経てはじめて、日本的スノビズムが、マゾヒスティックな生体機構が、あたかも先験的に内在していたもののように形成された。そして、あらゆる生命体のあらゆる先験的本質に忠実であることこそ「公正」であるとする支配的言説が、ジャパン・パッシングを自然化し、日本製ハイテク機器の破壊を助長する。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く