都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

日本神話を脱構築する:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その27

中でも星新一「ボッコちゃん」やアシモフ『ミクロの決死圏』にさらなるSM/SF的再解釈を加えた「バッコちゃん」や「腸内極小畜(ミゼット)」には、作家の並々ならぬハードSFおたくぶりがうかがわれるけれども、それら新製品ガジェット群をくりだすフェティシズム的妄執のはてに浮上するのは、ヤプーがイース文明の進展になくてはならぬ知的可能性であるにもかかわらずその種族的階梯は人類以下でしかないという、クラークと匹敵するヴィジョンである。ヤプーとはマイクロチップにも比すべきもうひとつの先端的テクノロジー、『二◯◯一年宇宙の旅』をも彷彿とさせるもうひとつのモノリスにほかならない。そして、いったん対象が存在論的本質を持たずテクノロジカル・ガジェットにすぎないと判断したときにわたしたちが発揮するのは、むろん奴隷制でもなければ人種差別でもない、かぎりなくイース的「慈畜主義」に近いスタンスではなかったろうか。そして、慈畜主義の本質は、まさに愛しているからこそ鞭をくれる、鞭をくれてやりさえすれば白神崇拝が無限に稼働して理想的なユートピアが訪れるという「合理主義的循環」にこそ潜んでいた。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く