『血と薔薇』1969.No4

日本神話を脱構築する:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その26

もちろん、のちにクラーク自身がオーバーロード造型におけるあまりにヒューマニスティックなタッチを反省した結果なのか、『二◯◯一年宇宙の旅』シリーズにおいてオーバーロードとまったく等しい「人類進化の産婆」としての石板を提示するにいたったことを指摘しておかなければ公正を欠く。彼はこのとき、映画監督スタンリー・キューブリックの助言を得て、産婆役のすがたを人間型(ヒューマノイド)にせず、ことごとく無機質なモノリスに置き換えることで存在論的悲壮を克服しようと試みた。しかしこの点においても、沼正三の場合はむしろ、日本人という人種の肉体自体をバイオテクノロジーで家畜化してしまうことにより、日本的形式主義をいっそう誇張するというラディカリズムを貫徹する。

モノリスとは何か、さまざまな議論が戦わされているが、それは通信機でありティーチング・マシンであり、電脳空間でありウイルスであり、つまるところ人類の造ったHAL九◯◯◯以上に精巧なサイバネティック・システムといった印象が強い。そして『二◯六一年宇宙の旅』においては、はっきりと「知能においては技群に高度でありながら意識を持たず、種族的階梯としては人類やHAL以下の存在」と定義されている。ところで、あたかもクラーク的モノリスを彷彿とさせるかたちで性格づけられているのが、ヤプーの本質なのだ。すでに正編から現われていた肉便器(セッチン)や肉反吐盆(ヴォミトラー)や舌人形(カニリンガ)、雪上畜(プキー)、矮人(ピグミー)といったガジェットをしのぐかのように、完結編でSM的メカニズムで稼働する自動車と化したサイヤプーから避妊用の膣内小童子(トンネル・ボーイ)、声帯に加工して性交時に伴奏するファック・オルゴール(リンナッタム)、愛国主義的イデオロギーを植え付けることで味がよくなる高品質食用ヤプー、長髪尼畜を応用した生髪絨毯、あたかも仮想現実テクノロジーを思わせる艶夢顕現機ゴンゲンにいたるまで、高度に現在的なハイテク感覚を駆使した新ガジェット群がイース国の随所をみたす。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く

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