日本神話を脱構築する:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その32
日本的本質が西欧と対峙しているのか、それとも西欧的言説にあらかじめ馴致された日本的本質という構図こそが、もうひとつの日本的本質なのか。かくしてわたしたちは、再び『ヤプー」において脱構築された日本神話の無限循環に舞い戻る。
日本神話はヤプー化されたのか、それともヤプーが先行して日本神話が生まれたのか。そういえば、イース生態系を平和に保持するヤプー種族の構図は、白人の排泄をヤプーの栄養摂取と同義にしてしまう点において、無限循環テクノロジーを確立していた。そうしたテクノロジーがタイムスリップしてもたらされた果てに日本的高度資本主義のイデオロギーが生まれたのか、それともスノビッシュな日本的マゾヒズムが先行して必然的にヤプー自身がテクノロジーの象徴どころかそれ自身と化す運命になったのか。
神が先か、家畜が先か?家畜が先か、神が先か?
『家畜人ヤプー』の一見脱観念的なタイム・パラドックスを保証しているのは、二◯世紀末日本の現在そのものが抱える畜権神授説のアポリアなのである。
---慶応義塾大学文学部教授・アメリカ文学
※この解説は一九九三年一一月、筑摩書房から刊行された「メタフィクションの謀略」(巽孝之著)所収の論考に、若干の加筆・修正を施したものです。
・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・了