『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事

天野哲夫は、ここで、『奇譚クラブ』の編集発行人、吉田稔から

天野哲夫は、ここで、『奇譚クラブ』の編集発行人、吉田稔から匿名投稿の幾つかを取りまとめ、〈連鎖エッセーの形式で誌上に発表する〉よういわれ、〈投稿原稿の手入れと編集、加筆潤飾に自身の分をも組み込みつつ、その連鎖エッセー(これが『ある夢想家の手帖から』(引用者・註『マゾヒストの手帖より』として連載))の筆者としての統一的人格を作りあげるよう努力した。〉これが沼正三いう名前を作った由頼である。ドイツのErnst Sumpf(エルンスト ズンプ)よりきた、としている。

(Ernst Sumpfは、沼正三研究の鈴木真吾によると架空の存在かもしれないという。沼正三や天野哲夫の著書にしか登場しないからである。とすれば、あまりな反論である。)

すなわち、沼正三というのは、天野哲夫の黒田史朗などのペンネームではなく、集団ネームの要素があったということである。

森下小太郎は、さも倉田卓次が満州でロシア軍の捕虜になり、ロシア看護婦に小水を飲まされてからマゾになったと主張しているが、これに根拠はない。なぜなら天野哲夫は、この読者投稿にあった南方戦線で捕虜になった〈あるマゾヒストの体験談には峻烈なる感銘あり〉としていて、相手は看護婦ではなく、英軍司令官夫人だったと主張するのである。

ここで投稿者に倉田卓次がいたかもしれないと誰もが思うだろう。それを見越してか、天野哲夫は、〈お断りしておくが、K氏(倉田氏のこと)がその一人というのではない。氏は原稿そのものを書いたことは、一度としてない。〉と書く。

では、倉田卓次は、なんであったのか?

・・・次号更新【連載「沼正三」をめぐる謎 高取英】に続く

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