森下小太郎は、「沼正三」と文通し、一度だけ「沼正三」に会っている
確かに、遠藤麟一朗から瀬部麟一郎と名付けたとする証拠はない。
だが、森下小太郎は、「沼正三」と文通し、一度だけ「沼正三」に会っている。論考のラストは、東京裁判所民事法廷に、裁判官である倉田卓次を見にいくのである。
〈裁判官席には、三人の判事が居並んでいた。その中央、裁判長席に坐っている人物こそ、二十六年前に私の家を訪れ、一晩でドイツ語原書を読了していった「沼正三」にまちがいなかった。〉
この論考が発表されたため、沼正三=倉田卓次裁判官説がクローズアップされ、週刊誌はもちろん、テレビのワイド・ショーでも取り上げられることになったのである。
倉田卓次は、テレビの取材に、「関係ありません」といった。
天野哲夫は、自分が沼正三であると発言した。
森下小太郎は『諸君』12月号で〈倉田卓次判事への公開質問状〉を書いた。
文通していた「沼正三」と倉田卓次の筆跡を比べ、同一であるとした。
・・・次号更新【連載「沼正三」をめぐる謎 高取英】に続く
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今もなお、沼正三=倉田卓次説があるのは森下小太郎が、『諸君!』(82年11月号)に発表した〈三島由紀夫が絶讚した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事〉と題した論考のせいである。 #家畜人ヤプー 全権代理人 #康芳夫 pic.twitter.com/KSCseUHxgm
— 家畜人ヤプー倶楽部 Executive Producer 康芳夫 (@yapoo_club) January 23, 2020
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