『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎

森下小太郎は、「沼正三」と文通し、一度だけ「沼正三」に会っている

確かに、遠藤麟一朗から瀬部麟一郎と名付けたとする証拠はない。

だが、森下小太郎は、「沼正三」と文通し、一度だけ「沼正三」に会っている。論考のラストは、東京裁判所民事法廷に、裁判官である倉田卓次を見にいくのである。

〈裁判官席には、三人の判事が居並んでいた。その中央、裁判長席に坐っている人物こそ、二十六年前に私の家を訪れ、一晩でドイツ語原書を読了していった「沼正三」にまちがいなかった。〉

この論考が発表されたため、沼正三=倉田卓次裁判官説がクローズアップされ、週刊誌はもちろん、テレビのワイド・ショーでも取り上げられることになったのである。

倉田卓次は、テレビの取材に、「関係ありません」といった。

天野哲夫は、自分が沼正三であると発言した。

森下小太郎は『諸君』12月号で〈倉田卓次判事への公開質問状〉を書いた。

文通していた「沼正三」と倉田卓次の筆跡を比べ、同一であるとした。

・・・次号更新【連載「沼正三」をめぐる謎 高取英】に続く

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