風俗奇譚 昭和45年7月臨時増刊号より
代理人の陰謀
約束の時間にそのブタ男がやってきて、
「ブタノと申します」
と名のった。その時のしぐさを見て、ヤギ氏は、
「こいつは、相当のマゾ男だ」
と直感した。男は、大手出版社であるS社、校正の嘱託としてつとめていた。
「どうゆう字をかくの」
というと、
「豚肉のブタ、野原のノ」
といった。どうせ本名ではあるまい。このマゾ男は、女の尿や大便を飲み食うのを趣味とする「ブタ派」に属するから、みずから、
「ブタノ」
と名のったのだ。
「沼正三の代理人ですか?」
「さようで、へへへへへ」
「で、どういうご用件ですか」
ヤギ氏はひといきにしゃべった。長い編集経験からいって、ヤギ氏はブタノのハラをすっかり見ぬいていた。この男は、行くえ不明の沼正三の名声のうえにのっかって、一旗あげようとたくらんでいるのである。
沼正三の代理人を語って、ボロモウけをたくらんでいる。
ブタノは、たしかにブタのように卑屈な風体ではあったが、黒光りしてハゲあがったヒタイには、ものうげな知性がひらめいていた。
事実、ブタノは「グロダ・シロ」のペンネームをもって『奇譚クラブ』へ記事を書いていたライターのひとりなのである。いわば、沼正三とは、同期のライターなのであった。
しかし、グロダ・シロは、沼正三にシットしつづけて半生を過ごしてきたといってもよい。
「沼正三氏が、ヤプーの続編を書きたいと、こういっておられるんですよ。けれど、沼正三氏は、いま、たいへん高貴なおかただから私を代理人として、おたてになった」
ブタノは、まわりくどく、しゃべりはじめたのである。
「どうです。そのうち、その続編を沼氏が書いたらもってきますから、出版なさりませんですか。ヘッヘッヘッ」
ヤギ氏はすっかりブタノのハラを見ぬいてしまった。みずからも筆者であるブタノが、その続編を書きたがっている。ヤギ氏の商売心がムラムラとわきあがってきた。
「いいでしょう、ブタノさん。ぜひ、そうしてください。幻の名著の復刻として、これはベストセラーになるにちがいない。しかし、印税その他はどうしますか」
「代理人である私がぜんぶ、そういうことはまかされています」
ブタノはふしめがちにしゃべった。ヤギ氏はブタノのウソはすっかり見ぬいてしまったが、逆に、ブタノを沼正三の代理人に仕たてることによって、沼正三をふたたび「墓のなか」からほじくり出すことができる。
出版の世界には、食人魚のピラニアみたいなところがあって、金がもうかるなら、たとえ、行くえ不明の作家でも、墓場からほりおこして虚像をつくりあげてしまう。
「いっそのこと」とヤギ氏はいった。「ほんとうのことをいってください。ブタノさん。お互い、ハラをさぐりあってたって、しかたがないでしょ。ズバリ本心をいってください。本を出す時は、編集屋と筆者のあいだに秘密があっちゃいけませんよ。あんたが、残りをかくんでしょ」
ブタノは黙ってうなずいた。
「で、沼正三氏はどうなるんですか。どうしちゃったんですか」
ヤギ氏はつづけた。
「だいじょうぶです。私が、沼正三の代理人になりすましても、文句を言ってくる人はひとりもいません」
「つまり、沼正三は?」
「わからんのです」
「では、親類縁者は。つまり、沼正三の奥さんとか、子どもさんとかは、いないんですか」
「おりません。沼氏は、しょうしんしょうめいのマゾヒストだったんで、そういう人はひとりもいないんです」
「すると、沼氏が死んでしまえば、沼氏の著作権の代行を主張できる人は、法律的にも、慣習的にもいないんですね」
「そうです。そのとおりです」
「じゃ、ブタノさん、あんたが、代理人という名目で沼正三をカタれば、世間の人は、まったくそうだ、と信じますね」
「ま、文句いえるスジあいの人はいないでしょうなあ」
「しかも、沼正三という名まえのものが、ペンネームだったんだ。それも、禁断の世界であった、マゾヒスト界の人だとあっては、ますます、知っている人はいないわけだな」
ここで、ふたりは顔を見あわせて、大声でわらった。
「もうかりますなあ」
「まったく」
商売人であるヤギ氏は満足だった。いっぽう、沼正三の名のかげであまりサエない文章をかきつづけ、常に沼正三氏へのシットにもえていたブタノことグロダ・シロにしてみれば、こうしてこそ、はえある「沼正三」の名誉をかすめとることができるのである。
『家畜人ヤプー』は、一時、中央公論社から発刊の予定があった。しかし、これは種々の事情で中止になっている。いまここで、沼正三の代理人をしたて、それに補足させて続きをかかせれば、世間がさわぐのは、目にみえている。ヤギ氏はブタノを、バーへさそった。水割りウイスキーを飲みながら、ブタノの耳もとで、ヤギ氏はしゃべった。
「いいか。まず、原作を何度もよく読みかえすのだ。そして、沼正三の文体のくせ、話のすすめかた。(注)のかきかた、趣味や傾向をよく研究するんだぞ。そして、その、当然の帰結としての、スジのすすめかたを研究して、きみが、はじめからもういちど書きなおすのだ。わかるかい」
ブタノはうなずいた。ブタノじしん、実生活上のマゾヒストであり、女便所のテラテラしたのをなめたりする、「女便所」へのあこがれが強かったため、それは、容易にできる気がしたのである。
ヤプーが『奇譚クラブ』に連載されたのは昭和三十二年のことである。それから、三十四年の六月号で、突如、休載されるまで、20回にわたって続いたのである。沼正三は、同じ『奇譚クラブ』に、『ヤプー』に先だって『或る夢想家の手帖』を発表している。(これは、ヤプー以上にすぐれたエッセーとして評判が高い)
「まず、沼正三の文体をマネすること。これが第一課だ。つづいて、文章構成をマネすること。たとえば、沼正三は、話を脱線させて、さまざまの衒学(げんがく)的知識を書いている。これをマネするのだ。それから、(注)もふんだんにつけること」
ヤギ氏はひとつひとつ、注意を与えていった。ヤギ氏じしん、小説を書いた時期もあって、そのへんのことはこころえているのである。
「しかしいちばん重要なことは、沼正三が一章から二十章までの間に書きつづけた予言めいた暗号に、答えを出すことだ。これは、マゾヒズムの本質には関係なく、側面的に、この小説の文学的価値を与えている要素なのだがね」
ブタノは、ヤギ氏のことばをひとつひとつうなずきながら聞いた。
「さらに、沼氏が考案したヤプーのさまざまな便器具類とその用法だが、あんたが、別にそれ以上のものを考案する必要はない」
「へい、ヒヒヒヒヒ」
ブタノは、瞬間、屈辱的な笑いをうかべた。
「沼正三が考案した、狂人的な発想をくりかえして使用すればそれでよいのだ。これは重要な点だ。おまえさんがかってに、筋を発展させていくと、小説後半のくだらなさがわかってしまうんだからな」
・・・次号更新【風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】:連載4】に続く