女性記者の尿を飲む

風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】

『女性本人』、4月11日号に、『マゾヒスト風下貧氏(44歳)の奇怪な生活』なる記事が、写真入りで7ページにわたってのった。

「女性のドレイとなって生きる喜び---驚くべきマゾ人生の実体」とメイうって、「信じられない、と記者は何度わが目を疑ったかしれない。排泄物を嗜好する紳士!」とレポーターのナガムル・サイコ記者は書きつづる。

ある日、「女性本人」の編集部へ奇怪な手紙がとどく。それは、風下貧と名のる紳士からで、「家事手伝い、そうじ、洗たく、大便の世話をさせてくれ」とつづり、五千円札が同封されていた、というのだ。これまた、ブタノがくりかえし使うやりかたではないか。しかたなく電話して、約束の時間にあうと、いきなり、この五千円札の話になった。風下貧はとくいげに話す。

「五千円いれておけばかならずお電話をいただけると思いまして」

ブタノは「五千円用法」とか、いくつかの共通するカギをワザと使うのである。これはブタノの巧妙な方法で、いっぽうでナゾをひたかくしにしながら、いっぽうで、ナゾをとくカギをワザと提出するのである。そして、そのカギをあつめれば、結果的にブタノが沼正三であるかのような錯覚を読者に与えようとたくらんでいる。白痴の弟とその兄という二重人格をしくみ、さらに沼正三にもバケようとたくらむブタノにとって、このへんのカラクリは実にカンタンなことであった。ブタノが書く一連の読み物の共通項をたどっていけば、ブタノがもつさまざまのペンネームの最後に、沼正三がくっつくしかけになっているのである。

ナガムル・サイコ記者(はたして記者の本名かは疑わしい。ひょっとすると、ナガムル・サイコというのも、ブタノのペンネームかもしれない)は、風下貧の印象を、

「表情が動かない、端正で温厚な紳士のロー人形」と評しているが、ナガムル記者が喫茶店のトイレにたつと、風下氏は、いきなりトイレの水を流さないようにたのみこみ、便器にはいつくばってその尿を飲もうとするのである。

このマゾヒストとしての誇示欲はどこからくるのか。ふつう、マゾヒストは、自己完結的にひっそりと自分のマゾ的生活にひたるものとされている。初対面の女性記者の尿を、いきなり飲もうとする、この攻撃性は、じつに、「自分がマゾヒストだと、女性記者におもわれたい一心」からきたものなのである。マゾヒストは、自分の内面生活においてマゾヒストなのであって、なにも、国民ひとりひとりに自分がマゾヒストであることを宣伝してあるくことはないのである。

しかし、風下貧は女性記者の前で攻撃的自己誇示的マゾヒストになる必要があったのだ。それは、女性記者の心証として、結果的に、風下貧ことブタノが、沼正三であることを信じさせるためにである。

さらに風下貧は、幼少時に、ドイツ人の少年に小便を顔へかけてもらった経験を語っているが、これは、沼正三が外国人、ことにドイツ女にいためられること(本物の沼正三はドイツのハンブルグやそのほかの土地に行っている)を無上のよろこびとしている点、『家畜人ヤプー』にドイツのことがことこまかに登場することをおもいあわせれば、それを想像させる伏線として容易に察しがつく。これなども、ブタノがワザと提出したカギ(偽証のカギ)なのである。

「哲学用語、心理学用語、英語、ドイツ語、ラテン語などが豊富にとび出し、古今東西の文芸作品が引用される」とナガムル記者は書いているが、これなども、沼正三になりきるための、ブタノの必死の演技なのであった。

話はいよいよ核心にはいっていき、ブタノとくいの「一人二役、五千円、イカの腹のような便器そうじ」をトクトクと話してきかすのだ。内容は、ブタノが『グロチカ」に書いた告白記や、クラノハシ・ユビコの小説と、まったく同じなのである。

そのほかの体験として、ブタノが、女子寮や女性ばかりの家庭の便所のツボにかくれて、上からそそぎかけられるあたたかみをあびるコーコツ感まで告白されている。

女流芸術家の家にオシにばけてはいりこんで、彼女の大便を食べたことも告白している。大腸菌防止のためにポケットからクレオソートの丸薬「正露丸」まで出して見せているのである。

さて、この記事のしめくくりは、やはり、沼正三の話である。話は、『家畜人ヤプー』の作者の推理におよび、このSF作家は、いったい誰なのか。もしかすると、風下貧氏ではないか。だが、風下貧氏は即座に否定した。「沼正三なんて人物は、この世にいないんではありませんか」と。

まことに巧妙である。いったい、ブタノこと風下貧氏は、なんのために『女性本人』の記者に会ったのだろう。自分がマゾヒストであるさまざまな例証をあげる必要がどこにあったのだろう。この記事をまともにうければまったく、無償の行為ではないのか。ならば、風下貧氏は、日本のマゾヒスト協会の宣伝担当員、あるいはマゾヒスト救世主であって、世のマゾヒストたちに勇気を与えようとしたのだろうか。

そうではない。もしそうならば、フクメンをしてワザと怪奇な風体をして、自己のヒミツを興味だけでしゃべりまくるわけがないからである。

風下貧ことブタノは、ここでも、沼正三に化けるべく偽装工作をしたのである。そうでなければ、風下貧の行動には、意味がないではないか。(『女性本人』の編集部がブタノにたのみこんだのではなく、ブタノが、5千円札を投げ餌としてもちこんだのである)五千円札をおくってまで、告白記事を掲載してもらうのには、ブタノなりのふかい陰謀があったのである。

さて、これまで、ブタノに関しては、さまざまなペンネームが出てきた。いろいろあるので、混乱してしまうであろう。そのために、ブタノのペンネームをここで整理してみよう。

まず、コンド・シロミズ(グロチカ)、つぎに、マゾヒストQ氏(文芸界)、風下貧氏(女性本人)、グロダ・シロ(奇譚クラブ)。

以上であるが、さらに、『裏窓』にもコンド・シロミズのほか、アンマ・テツヤ、ミズオ・ナメルのペンネームをつかっていたのである。

読者は、さらに読みすすむうちに、ブタノが代理人として、Aなる名まえ(これは本名かもしれない)で登場するのだが、それはさておき、ブタノの野望は彼の多くのペンネームの最後に、「沼正三」の名をくわえることなのである。

しかし、この、幾重にもしくんだカラクリは、沼正三と昔からの親友だった谷貫太氏によって、こっぱみじんにくだかれることになるのである。

では、本物の「沼正三」はどこへ行ったのであろう。ブタノにその名まえを利用され、自己の作品までのっとられようとしている沼正三は、どこへ行ってしまったのか。

沼正三の代理人たるブタノが、沼正三について語るのは、次のようなことだ。

「沼正三氏は、私にすべてを依嘱されました。沼氏は、いま、それは重要な地位におられるおかたです。だから、世間にそのことが知れると、たいへんなことになるのです。だから、その人の名は私しか知らないし、もちろん、申しあげられません。もちろん生きておられるし、続編のヤプーを執筆なさるといっておられます」

しかし、ここでブタノこと風下貧が、『女性本人』記者に語ったことばを、もういちど思いなおしてほしい。

「沼正三なんて人物は、この世にいないんじゃありませんか」

さてこれはどういうことになるのか。

・・・次号更新【風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】:連載7】に続く