クラノハシ・ユビコだきこみ作戦

風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】

後半がブタノによって書かれた『家畜人ヤプー』は、T出版社より発行された。著者は、幻の作家「沼正三」とされている。

『奇譚クラブ』に連載されてから、三島由紀夫をはじめ多くの作家に評価されてきただけあって、『ヤプー』はとぷように売れた。三島由紀夫氏は、奥野健男氏に、

「男たちが変形家具となって、女の下敷人間や、便器人間になって奉仕するとは、すごい話だね。マゾヒズムの快楽の極致だね。まったく、おそろしい。沼正三という作者は、どういう人間なのだろう」

とくりかえして語ったという。三島由紀夫氏は、このケッサク・マゾヒズムの小説を、各出版社に宜伝して、一時は中央公論社から出版されることになったのだが、安保闘争と不幸な嶋中事件にぶつかって、たちぎえになったのである。

そんな話がつづくうちに、『家畜人ヤプー』の伝説は、沼正三のナゾの正体とともに、人人のうわさにのぼっていった。

「著作者との了解により(?)検印廃止」された『家畜人ヤプー」は、2月10日に第1刷を出すと、たちまち買り切れ、4月10日には第3刷を発行するにいたった。

この間、『平々凡々』誌などが、「はたして沼正三は誰か?」という、センセーショナルな記事を出したことなどで、それは、いっそう巷のウワサすずめのウワサをあおった。

ヤギ編集長も、ブタノも、またT出版のKプロデューサー(出版社にプロデューサーがいるとは、まったく奇妙な話だが)も、モウかってホクホクだった。

ブタノは、沼正三の代理人と称して、大手をふって歩きはじめた。いっぽう、T出版社としても、この、人気ある「沼正三」を、『ヤプー一作だけで、また、闇のかなたへほうむってしまうのは、まったくおしい話だとおもいはじめた。

柳の下にドジョウは二匹も三匹もいるのである。つくりあげた沼正三の幻影を、二度も、三度も利用すれば、また、モウかるではないか。うまいことに、沼正三氏には、『或る夢想家の手帖』というケッサク・エッセイがある。さらに、ブタノに、続『ヤプー』を執筆させるのである。そうすれば、またまた、モウかってしかたがないのではないか。

ブタノはブタノで、いつまでも代理人としているというのが、あきたらなくなってきた。ここで、ブタノが沼正三になりきってしまってもいいのではないか。

じっさい、まがりなりにも、『家畜人ヤプー』の後半はブタノが執筆したのである。ブタノは、沼正三になるべく、さまざまの偽装工作にとりかかった。

まず、クラノハシ・ユビコがそのてはじめである。ブタノが、クラノハシ・ユビコにちかづいたのには、ふたとおりのルートが考えられる。

ひとつは、ブタノが勤務するS社は、クラノハシ・ユビコの著作を出版しているからである。かつて『タイパル』なる小説で名をうったクラノハシ・ユビコ女史だが、その後、「しばり、つるし」のマゾ小説めいた話で鳴かず飛ばずであるのを知っているプタノは、何者かをつうじて、『ゲロチカ』にしるした体験を彼女に流したのである。S社の関係で直接ブタノが話したことも考えられる。

もうひとつは、さきの木村耀子嬢である。(私はふとしたことから、この木村嬢と面識をもっている。コンド・シロミズ氏のことについて聞くと、木村嬢は、あまり多くを話したがらなかった。木村嬢はやはりH出版社に勤務する美人編集者で、クラノハシ・ユビコ氏とは友人関係にあるのだ。コンド・シロミズことブタノは、その後何度も木村嬢のところへ、しつこく、電話をかけてくるのだという。これからのべる、クラノハシ・ユビコ氏の『マゾヒストQ氏の画像』のモデルが、この木村嬢であることは、木村嬢じしんが認めている。ただし、木村嬢のために若干の弁護をしておくと、木村嬢ことJ子<クラノハシ氏はJ子といっている>は、ごくごく普通の情神の女性であって、ブタノが想像力でつくりあげたサディストではない)

木村耀子嬢と面識のあるクラノハシ・ユビコ氏は、木村嬢から、Q氏ことブタノの話を聞くとすぐにとびついた。

これはブタノにとってモッケのさいわいである。ブタノは、『グロチカ誌』に書いた内容をことごとくクラノハシ・ユビコに話したのである。そのとき、『家畜人ヤプー』のことをにおわせることを、けっして忘れなかった。

さて、クラノハシ・ユビコは、ブタノの話をきくと『文芸界』4月号に『マゾヒストQ氏の画像』なる小説を書いた。

この内容たるや、ブタノが、『グロチカ』に書いたものとほとんど同じなのだ。

『マゾヒストQ氏の画像』には、クラノハシ氏の「従姉(J子)」が登場し、そこへQ氏があらわれ、弟の家庭教師を依頼する。Q氏は「一見申し分のない紳士のような身なりや風貌にもかかわらず、根本的にいかがわしいところのある人間」(これはまったくブタノの風貌をよくとらえている)だと、しるされている。Q氏は、じつは、二つの顔をもつ同一人物なのであって、J子がQ氏に課したシツケと同じことが行なわれるのだ。

この小説ではQ氏ことブタノが、J子こと木村耀子にあきてしまって、クラノハシ・ユビコに、サド女王さまを依頼するふうに話はすすみ、さらにJ子が、尿やかみくだいた食べ物をQ氏に与えた、とされている。

クラノハシ・ユビコは、J子のことに関して、少々、くちをすべらしてしまったようだ。J子はF社の《THE RISING SUN》誌の編集者というふうになっているが、F社のFとは、じつはJ子こと木村耀子の本名の頭文字(かしらもじ)であり、《THE RISING SUN》誌とは、よく似た雑誌が出ているではないか。さらにJ子の卒論が、サリンジャーというのも、J子が評判小説『赤ずきんちゃん』シリーズのモデル、ユミ子その人であることをおもいあわせれば、すぐに察しがつく)

Q氏がJ子にあきたのは、J子がQ氏に、「犯してくれ」と要求したからである、とされている。J子は顔のほかは、からだのあらゆるところをQ氏の舌にゆだねことを許していたのだが、突然、感覚上の快楽を延長させずにはいられなくなったらしい。

小説であるのだから、まあ、創作はいいとしても、このへんには、クラノハシ・ユビコかブタノか、両方の想像力がかなりはいっていよう。まあ、これは、クラノハシ・ユビコが、西おぎくぼのレンガ屋で550エンの牛肉赤ブドー酒づけ煮を食べながら、Q氏と話しこむ形式になっているから、多少のつくり話はいいだろう。

『マゾヒストQ氏の画像』は、このようにまったく、ブタノの体験をそのまま出したような話だから、のせられたクラノハシ・ユビコがオソマツといえばそれまでだが、ひとつだけ、奇妙なところがあるのだ。

それは、この小説の「あとがき」のように書かれた5行の文章である。小説とは無関係に突然、この5行が、まるで新聞の尋ね人広告のように出てくるのである。

「その後しばらくして、だれだかわからない人物が書いた長編小説が、ある小さな出版社から出て評判になった。もと《K》という雑誌に連載されていたものであり、これはマゾヒストによるマゾヒストの小説である。私はこの作者があのQ氏であることを疑わない」

これはどういうことだろう、クラノハシ氏が、純粋にマゾヒスト風小説を書くのだったら、こんなナゾめいた5行案内はいらないはずであろう。

ブタノが、クラノハシ・ユビコ氏に書かせたのである。あるいは、クラノハシ氏が、錯覚してそう書くようにブタノが暗示したのである。

この小説をよんだ興味ぷかい読者なら、たちまち、Q氏のことを沼正三とおもってしまうだろう。

こんなふうにしてブタノの沼正三偽装工作の第一歩は、もののみごとに成功した。しかし偽装には、二重、三重のカラクリが必要である。もっとも大衆的な、週刊誌やテレビをつかっての、工作をする必要があったのである。ブタノは、つぎに週刊誌をつかって、偽装宣伝することを考えついた。ブタノが目をつけたのは週刊『女性本人』だった。

・・・次号更新【風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】:連載6】に続く