お茶を濁した朝日と毎日
さて、以上からもおわかりのように、倉田氏が『ヤプー』の作者であることに疑問の余地はないにもかかわらず、多くの新聞は彼らの主張をオウム返しに復誦するばかりで、それがいかに根拠に乏しいものかを追及しようともしない。
いや、”藪の中”式報道でも、報道しただけマシで、朝日や毎日のごときは『諸君!』発売前日の十月一日、私のもとに記者を送り込み、顔写真まで撮って行きながら、翌日の紙面には一行もふれずじまい。”知る権利”をふりまわしながら、例によって”知らせる義務”を怠ったとしかいいようがない。両紙がようやく記事にしたのは、毎日が十月七日付、朝日となると同九日付タ刊の学芸欄というありさまで、その内容は、ともに要領の得ないシロモノであった。
朝日の記者に至っては、
「なぜ倉田さんをそっとしておいてあげられなかったんですか。可哀想じゃないですか」
およそ新聞記者の質問とも思えない質問をぶつけてきた。私は、この大傑作の真の作者はこの人なり、と指摘したまでである。その動機は文中にも記しておいた。見解の相違としかいいようがない。
天野氏の勤務する新潮社はどう対応したのか。同社には、こうした話題にはすぐとびつく『週刊新潮』がある。十月一日、急遽、編集部はデスク会議を招集し、天野氏を呼んで『諸君!』の記事の真偽を問うたところ、もちろん同氏の全面否定。そこで取材にとりかかろうとしたのだが、同社の大幹部N氏が記事を仔細に検討した結果、「これはどうも勝ち目がない」との御託宣---とうとう翌週の『週刊新潮』がこの話題を見送ったとは、同社社員から聞いた話である。
それはともかく、マスコミがこのていたらくでは、それこそ真相は”藪の中”になりかねない。倉田氏や天野氏の主張がいかに空しいものであるか、当方が論証してさしあげようではないか。
・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎・・・連載21】に続く