戦後、二三年目に発表された”ヒトラーの死亡”(2)

『滅亡のシナリオ』:プロデュース(康芳夫)

プロデュース(康芳夫)
ノストラダムス(原作)
ヒトラー(演出)
川尻徹(著)精神科医 川尻徹

ゲッベルスは五月一日に妻のマクダと六人の子どもを道つれに自殺し、夫婦の遺体もまたガソリンをかけて焼かれた。

五月二日、ジェーコフ元帥指揮下のソ連軍はベルリン市街に突入、午後三時、ベルリン守備隊は抵抗をやめ、降伏した。

首相官邸と地下壕はいち早くソ連軍が占領し、ヒトラーとナチ党幹部たちの捜索が行なわれた。そして五月四日、地下壕の外でヒトラーとエバ・ブラウンの遺体が見つけられたようだ。だが、ソ連政府はなかなかヒトラーの死亡確認を公表しなかった。ここに、”ヒトラー生存説”が生まれる原因があった・・・・・・。

「不思議だなぁ」

中田は首を傾げざるをえなかった。

「ヒトラーの死が公的にソ連政府から発表されたのは、実に二三年もたった一九六八年だそうですね。どうしてソ連は、そんなにも長い間、ヒトラーの死亡確認を発表しなかったのでしょうか?」

「私は私なりに、その問題を考えてみた」

川尻博士は、分厚い資料や原稿の山をかきまわしながら言った。

「コーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』(朝日新聞社刊)によれば、五月二日にソ連軍は地下壕に突入し、ゲッベルスとその家族の遺体のほかに、薄く土をかけられてあるヒトラーの死体を発見した、とある。

伝聞であることを前提にこれを読んでみると、その死体はひどく焦げ、頭の後ろは挫滅状態、つまり、こなごなに砕けていたという。そして上顎の”架工義歯”、おそらく”可撤性義歯”のことだと思うが、そいつがはずされて死体のそばに置いてあったというんだな。ソ連軍がその入れ歯を外したのかどうかは分からない。さらに、そのそばにもう一体、ヒトラーに似た軍服を着た、男の遺体があったという。こっちの男は繕った靴下をはいていたので『これはヒトラーではない』と判断されたらしい」

「ヒトラーなら、継ぎの当たった靴下など、はかないだろうと思ったんですね」

「そうだろうな。ところが、同じような死体が二つあったため、彼らは混乱したんだな。そこで数ヵ月まえにヒトラーの歯を治療した歯科技工士を呼び、彼にヒトラーの歯のスケッチを描かせて、それと照合して第一の死体をヒトラーと判断したというんだ」

・・・・・・・・・次号更新【やはりヒトラーには影武者(ダブル)がいた!】に続く