康芳夫_philosophy
虚業家宣言(30):右翼の殴り込みも宣伝材料に

右翼の殴り込みも宣伝材料に そんな最中に、今度は予期せぬ”幸運”が向こうの方から飛び込んできたのである。大阪の右翼が『都市出版』へ電話をかけてきたのである。 「貴社で出版した『家畜人ヤプー』の内客について、ご説明願いたい […]

続きを読む
康芳夫_philosophy
虚業家宣言(68):石原慎太郎との出会い(2)

ネス湖探検隊:サンケースポーツ(1973年(昭和48年)8月11日 土曜日) 石原慎太郎との出会い(2) 一のジャズ・フェスティバル。五月祭にジャズが登場したのはこのときが初めてだった。しかも呼んだのは三保敬太郎、宮沢明 […]

続きを読む
康芳夫_philosophy
虚業家宣言(129):激励してくれた福田、知らなかった田中(4)

激励してくれた福田、知らなかった田中(4) 話はとぶが、私がネス湖探検をし、非難を浴びている最中に、ちょうど、田中総理が英国を訪問していた。記者会見が行なわれ、その席で、ある英国人記者が、「ネッシー探検隊を貴殿はいかが思 […]

続きを読む
康芳夫_philosophy
虚業家宣言(117):生存の可能性は五分五分(4)

生存の可能性は五分五分(4) オクスフォード、ケンブリッジ両大学の『ネス湖生物研究班』が、一ヵ月にわたる潜水と音波調査の結果を報告したもので、それには、<時速五十キロのスピードで泳ぐ、全長十五~二十五メートルのプレシオザ […]

続きを読む
康芳夫_philosophy
虚業家宣言(139):好意的だった地元住民(1)

好意的だった地元住民(1) 私たち一行八人が、すべての準備を終え、スコットランドへ向けて出発したのは九月六日だった。十時二十九分発のBOAC機が羽田を発った瞬間、私は自分のホラが大きくはばたいたのを感じた。 先発隊として […]

続きを読む
康芳夫_philosophy
虚業家宣言(60):衝撃を受けた山崎晃嗣の死

衝撃を受けた山崎晃嗣の死 中学、高校と進んだが私の団体生活嫌いはいっこうに直らず、学校にいる時間より新宿で過ごした時間の方が長かった。 時代は野坂昭如言うところの”焼け跡、闇市”の時代の末期であった。伊勢丹の隣には、まだ […]

続きを読む