家畜人ヤプー_japonisme
家畜人ヤプーの考察(6):通念化するときどんな世界が開けるか

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より 通念化するときどんな世界が開けるか マゾヒスチックな願望から、「あなたの奴隷にしてください」とひざまずく男性の側からの訴えで […]

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家畜人ヤプーの考察(4):マゾッホにも谷崎にも、鞭や苦痛よりも大事なものとして見落してならないもう一つの要素

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より マゾッホにも谷崎にも、鞭や苦痛よりも大事なものとして見落してならないもう一つの要素 ---足崇拝(フェチ)をあげる必要がある […]

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家畜人ヤプーの考察(11):もともとサジズムとは、人間生理の原型であろう

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より もともとサジズムとは、人間生理の原型であろう もともとサジズムとは、人間生理の原型であろう。本然のエネルギーと、フロイドいう […]

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家畜人ヤプーの考察(3):鞭の果す効用は、サジズムにおいて不可欠のものであると同時に、マゾヒズムにおいても同時に不可欠な重要な小道具であり得るのか?

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より 鞭の果す効用は、サジズムにおいて不可欠のものであると同時に、マゾヒズムにおいても同時に不可欠な重要な小道具であり得るのか? […]

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家畜人ヤプーの考察(14):「ヤプー本質論」中において、ポーリンとクララの交わす論談は示唆的である

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より 「ヤプー本質論」中において、ポーリンとクララの交わす論談は示唆的である 『家畜人ヤプー』第五章「ヤプー本質論」中において、ポ […]

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家畜人ヤプーの考察(13):「倫理(サジズム)の消滅」とともに霧のごとくに消えてしまうのである

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より 「倫理(サジズム)の消滅」とともに霧のごとくに消えてしまうのである そこにおいては人間は絶対的なものから相対的なものに堕し、 […]

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