<薔薇画廊>ハンス・ベルメール・・・解説 桑原住雄(5)
ベルメールは一九〇二年にポーランドのカトヴィツェで生れているから今年は六十七歳になるわけだが、その芸術には、衰弱も綻びも見出せないようだ。というより、その描線は、ますます流麗さを加え、ヴィジョンは、より繊細に複雑になり、一方では逆に単純な強度を増幅しつつあると言ってよい。ベルメールのデッサン集(一九六六年刊)に評伝を寄せているコンスタンタン・ジェレンスキーによって、べルメール芸術の成立の過程が詳しく分析されているが、その中でベルメールとナチの関係を解明している点が興味深い。
ベルメールの父親が熱心なナチ党員であったことと、その父が家庭における暴君的存在であったこと、つまり父親とナチが二重イメージとしてベルメールを抑圧し、彼はそれに対する反撥、叛逆を少くとも第二次大戦が終るまで執拗に続行したことが、この密室芸術の作者の政治行動であったことがぼくには、たいそう興味をそそる事柄である。ナチズムによってドイツ全土がおおわれたときを契機につまり一九三八年に彼はパリにのがれて、そこでシュールレアリストのグループと交わるのだが、デュシャン、ブルトン、エルンスト、エリュアール、タンギーたちとの交友によって、ベルメールの仕事が本格的な深化と鮮鋭度をつよめたことは十分に想像できる。
もう一つ彼の対社会関係のあり方を暗示しているのは、その作品に現われる裸女が素裸である場合にも必ず部分的にコスチュームに類するものを身につけている点である。一番多いのはハイヒールをはいた裸女であるが、彼の全作品の軸点となっているエロスが、ただ密室の閉じられた中のエロスではなく、社会とのつながりを意識することによってエロスとして成立していることを、もっと注目すべきであろう。性は氾濫してもエロスを殆んど持っていないぼくたちの情況の中で、ベルメールが絶対に近い高貴性をもっていることは疑いのない事実なのである。
・・・了