『家畜人ヤプー』秘話-沼正三氏の死に際し:康芳夫(談話)・・・5【新潮(2009年2月より)】
沼正三の正体が作家の天野哲夫さんだという噂は「血と蓄薇」に載った頃には広まっていました。その当時から、天野さんは新潮社の校閲部員でした。彼にとって、自分の正体がバレることへの恐怖はなかったんだと思うけれど、そうですねえ・・・・・・「協力者」との微妙な問題がありました。沼正三の正体だと言われて話題になった倉田卓次さん (当時、東京高裁判事)も確かに無関係ではないから。「諸君!」(昭和57年11月号)が倉田=沼正三説を発表して、話題になりました。当時の編集長だった文藝春秋の堤尭君が、僕のところに鬼の首をとったかのように電話してきたけど、「お前、ちゃんと勉強して書かんとだめだよ」と忠告しました。で、堤が倉田さんに話を聞きに言ったら、倉田さんは完全に否定をした。ただ、倉田さんは交通関係の裁判の世界的権威で、最高裁判事にも内定してたんだけど、結果的にお辞めになりました。倉田さん自身は自分が沼正三であることを否定しつつ、作者と交流があったことは認めたけれど、他の協力者には、今もって「絶対に名前を出さないでくれ」っていう人が多いんです。「協力者」というのは微妙な問題なんですね。たとえば、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作にしても、インド仏教に関する非常に重要な部分において、インド哲学者の松山俊太郎君および関係者がかなり協力したわけです。その協力者が「作者」だとはいえないけれど、非常に微妙な問題がある。英語だとジョイント・ワークとかコラボレーションというけれど、では日本語で「共同執筆」といっていいかどうかは、ぎりぎりの問題なんです。ちなみに、僕が親しかったドイツ文学者の故・種村季弘、彼は「血と蓄薇」の初期の実質的な編集長で、彼が言うには「奇譚クラブ」に掲載さ れていた前半と、その後に増補された後半では文体が違うなんて言ってたけれど、彼には「ちゃんと読みなさい」って言ってやった(笑)。
・・・次号更新に続く