”向う側の世界”・・・・・・(2)
私はかつてある雑誌に、『家畜人ヤプー』は傑出した大失敗作である、と書いたことがある。その意味するところは、あれは「小説」ではなく「見聞録」なのだという解釈にもとづいている。
『東方見聞録』や『ガリバー旅行記』が、小説という形態をとらなくとも偉大であるように、『ヤプー』もまた、”架空見聞録”として特異な魅力を持つ傑作であることを疑わない。そして私のこの考えは、今もって変わっていない。
『奇譚クラブ』連載途中で、私は右のような感想を手紙に書いてやったことがある。沼正三は、それに対してこう返事を書いてきた。
<あなたのヤプー批評はあたっていると思います。然し二、三私として補足したい点なきにしもあらず、ただ現在のところ、そういう形であなたとことばを交すだけのゆとりをもてません。写真十葉返却催促の要件のみに止めます。N>---三十二年四月三日付
余談になるが、十年聞文通を続けたといっても、お互いの間が終始うまくいっていたわけではない。些細なことで険悪な雰囲気になることが度々あった。
右の手紙にある「写真十葉」うんぬんも、その一つである。当時、私と彼とは資料の交換をしょっちゅう行なっていたが、借りたものを返した返さないで、いさかいになることがよくあった。
そんなとき、沼はきまって「文通を中止する」といってきた。二度や三度ではない。それこそ毎度のように「中止宣言」をいってきたのである。そうして、私がトラブルの原因を説明してやると、すぐに前言を撤回したものである。
<例のこと、代金のことと手紙のことと二つ重なって、私も一時心平らかでありませんでしたが、代金のことも純粋に貴下の思い違いだったとすれば、それ以上とやかく申す気にはなりませんし、手紙も、奥様御自筆のものをいただいては、小生として恐縮するばかりで、貴下の御誠意を誤解していた点はおわびします。(当方には落度なかったことは認めていただきたいが)。従って、文通中止宣言は当方より撤回します>---三十一年十月十一日付
まことに稚気愛すべし。彼の文通中止宣言は、何度も繰り返される禁煙宣言みたいなものであったようだ。
・・・次号更新【『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・連載39】に続く