沼正三と天野哲夫・・・・・・(2)
だいたい天野君よ、『ヤプー』の構想がしたためられた倉田氏の手紙を『週刊文春』記者に見せられたとき、あなたは大いにうろたえつつ、
「(倉田さんは)どうしてこんな風に書いたんだろう・・・・・・。ショックです。驚いた。今は頭が混乱してますので、頭をほぐしてから、倉田さんに連絡をとってみます」
こうおっしゃったのではなかったのか。今ごろになって、あの手紙は倉田氏が森下をかつぐためにデッチ上げたものだなどとシラジラしい嘘を持ち出すのは、少々見苦しいのではありますまいか。
実をいうと、私はこの原稿を「倉田卓次」なる固有名詞を使わずに書くつもりだった。「沼正三=倉田卓次」については、前回・前前回の論証で充分すぎるほど充分だと自負していたからである。
が、前述のように天野君が『潮』誌上に往生際の悪さを見せつけた。それだけなら、やはり私は「倉田卓次」とは記さなかったであろうが、天野氏は本筋に関係のないところで私をはじめ、故矢牧一宏君(『家畜人ヤプー』を最初に単行本として出版した都市出版社社長。昨年十一月に逝去)、N女史、その他の人たちを誹謗した。心ならずも三たび倉田氏をこの誌上に引きずり出すことになったのは、そういう事情による。
マジメな森下がマジメに申し上げる。天野君よ、世の中に、沼正三と天野哲夫の二人しか残っていない時、もし二人の中の一人を友として取れといわれれば、ためらうことなく私は君を取る。なぜか。
君は外見に似ず豪儀である。そして『ヤプー』の件に関すること以外では、稀にみる紳士でもある。それに対して、法曹界で第一級の法律家として通ってもいる沼正三は、その作品に唯一の価値を持つ。彼の作品は、死後半世紀を経て人類共有の財産となる。モーツァルトの諸作品が、世界中の人に愛されているように、である。
・・・次号更新【『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・連載43】に続く