真相を知る人は沈黙し、知らぬが故に声高に叫ぶ者かいる。なんとも皮肉な対照である。十二年前の沼正三捜しの時、執拗に死亡説を主張した森下氏が、今になって騒ぎたてる理由は何か。

諸君!よ諸君、何ぞその愚昧なる! 天野哲夫(沼正三)

我が詩皆怪しき賦物ならざるは無しと人云ふ或は然らん---鴎外『我百首』

沼正三は私である・・・・・・(1)

「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん):『潮』昭和58年(1983年)1月号

昭和五十七年、文藝春秋社の『諸君!』誌十一月号に、森下小太郎君筆になるスキャンダラスな暴露記事が、センセーショナルに報道された。筆者は森下君ではあるが、演出者は同誌編集長の堤堯君である。

戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の作者・沼正三の正体は、代理人・天野がそれらしく装ってはきたが、それは真っ赤な偽りであり、K氏こそがまことの沼正三当人である。という猟奇的スクープであった。『週刊文春』がこれに連動する。そして三、四の週刊誌と新聞が続いて報道をしたが(テレビは一局のみ)、これらは概ね冷静な反応であり、『諸君!』のスクープに水をさす形で、「依然として筆者探しは藪の中」とした。中でも十月九日付『朝日』の夕刊には、「なぜ匿名で書かれたのか」とのタイトルで、『諸君!』を文化論的立場からたしなめている。十月二十九日号『アサヒグラフ』は「藪の中のままでいい」と、『諸君!』の余計なお節介に迷惑顔であった。『諸君!』が、満を持して放った一大スクープにしては、何故か反応に盛上がりなく、あっても手応えは冷やかであった。そこで、いきり立っての第二弾『諸君!』が十二月号。筆者・森下君よりも編集長・堤君のメンツがかかっていた。だが、何故か、これにはいっさいのマスコミは沈黙、あるいは黙殺。身内である『週刊文春』すらも素知らぬテイ。これが現時点(十一月二十日現在)での状況である。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載2】に続く