拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・4

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006秋山 暇つぶしという言葉を不謹慎と思う人がいるとして、そういう人の前ではこういう話し方はなさらないわけですよね?「暇つぶし」って言葉は使いませんよね?

康 使いますよ。相手が不謹慎と思うかどうかは私には関係ない話だから。

南 康さんに近づいていく人は(笑)。

上杉 ああ、そうか(笑)。ものすごく大きいお金が動くのに、最後はお金とは関係ないところにいっちゃうおもしろさがあって、そういう人はあまりいないですよね。お金に引きずられちゃう人ってすごく多いと思うんですよね。

康 そうだね、

末井 お金の力ってそういうものだと思うんですけど。それが、巨額のお金が最後まで冗談のままにできるというのがすごい。お金の力に引っかからない元からの力があるような気がするのですが。

康 それはいろいろあるんですけどね。いいことを聞いてくれたと思うんだけど、貨幣ってそもそもフィクションでしょ?巨大な金が・・・・・・太平洋上を挟んで、一日一千億ドルとかの単位で動いているわけ。電子マネーとはいえ、フィクション以外何者でもないよね。金の力とかサブスタンスとして感じる方が馬鹿げている。アメリカが勝手に贋金作ってるわけでしょ?インフレもそこから起きてくるわけですから。ドルをキーカレンシーとする世界経済システムに世界中が翻弄されているわけだ。つまりにニセドル札の奪い合いをめぐって、先進国、後進国を問わず世界中が狂奔しているということだ。一時吉本隆明が、超高度情報消費資本主義とかなんとか言い散らして、この究極のフィクションを盛んにもちあげていたけれども、ついに彼も「ヤキ」がまわったとつくづく思ったね。原平が千円札を作ったときにそこら辺をからめた意図があったのかいつも聞くんだけど、あいつもはっきり答えない。そういう意味で金の威力に打ちひしがれている人はいるし、ベーシックに捉えた場合は壮大なフィクションですよ。仰々しいものではない、ただの「紙切れ」ですよ。今、さかんに騒がれているいわゆるIT企業のガキ共もこの「紙切れ」をめぐってトリッキーに狂奔しているだけだ。そのうちに必ず「紙切れ」と一緒に風に吹かれてどこかに消えていくよ。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店

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