拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・28
南 養老孟司と赤瀬川原平が同じ年なんだけど、養老さんは教科書に墨を塗る経験をして、「今までの価値観は信用できない、同世代の人はみんなそうだろう」と言うんですよ。でも、赤瀬川さんに聞くと墨を塗ったことなんて覚えていないというの。やったかもしれないってそれくらい。
康 この前の神戸大震災だって「昔あったなぁ」って感じになってましたね。
南 あれはみんな期待してるところがありますよね。
康 僕は実際に神戸大震災のときに有馬温泉の高級旅館のペントハウスで芸者呼んでドンチャン騒ぎしてたの。俺は霊感があるから、なんか胸騒ぎがしていてみんなに帰ろうって言ったの。一日前の最終新幹線で東京に帰ってきて、その前々日は祇園で遊んでいたわけよ。朝起きて、テレビ見たら、昨日通ったハイウェイがアメみたいに曲がっていて。昨日見たところが廃嘘と化してる。有馬温泉にもう二、三日いようと思ったけれど、いたら閉じ込められていたね。そういう体験をいろいろしているからね。
南 康さんの虚と実が絡み合ったそういう感覚が大事だね。いつでも冗談(笑)。最初から、国自体がフィクションという感覚はあるんですか?
康 それはもちろんあるけれど、僕の台湾国籍云々は関係ない。小さいときにいろんな問題があったことは事実ですよ。戦争しましたからね。僕のお袋は日本人だし。少しオーバーにレイン流に言えば「引き裂かれた自己」ですよね。
澁澤 著書を読ませていただきますと、お父様は生き抜くということを意識しておられたようですね。
康 中国人は外国で生きるのも・・・・・・僕のオヤジは典型的なノンポリですからね。蒋介石政府の最後の駐日大使許世英の侍従医をしていたのですが、日本と国交断絶後、引きつづいて南京政府大使の侍従医になった。これは断る訳にはいかない。終戦後漢好、いわゆる売国奴ということで上海軍事法廷で裁判を受け、医者とコックは無罪、後は全員銃殺された。
秋山 康さんは東洋の神秘だね。
末井 康さんはいろんなことをなさっているけど「誰に向かって何を」のような意識ってあるんですか?誰ってあるんですか?
康 自分。
秋山 自分だけに向かっていて飽きないですか?
康 飽きるから変えていくわけよ。前にもふれたと思うが哲学とか思想とか宗教とかすべて抜本的な所を考えなくてはいけないと思ってる。さっきの話に戻っちゃうけど、ヒトラーがいて、ナチズムが何人のユダヤ人を惨殺したとか、スターリンが強制収容所でどのくらい残酷なことをしたとか、スターリンもヒットラーも精神病理的、その他いかなる観点から判断しても彼等がそれぞれの思想の社会的歴史的「応用」をまったく間違っていたということですよ。然しマルキシズムもナチズムもそれを支えている根源性がそれとはまったく別のところにあるとしたならその是非を徹底的に検証すればいいのです。根源性に致命的な問題を抱えているから結果として人類史上もっともグロテスクな結末に至ったという判断も当然のこととしてある。誤解のないようにはっきりしておきたいのは、いわゆる樹を見て森を見ざるではだめなので、根源性の是非を徹底的にやってほしいということです。両者とも歴史的、社会的に判断するならば、人類の歴史に永遠に残る巨大な悪だ。そんなこと小学生だってわかってる。その社会的再現のきざしは、現状況的に判断していたる所に見受けられるが、「グローバル市民社会」の秩序安定の為には、いかなる方法を用いてもそれを阻止しなければならないのは当然のことだ。
・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋
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