拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・30
康 同様に江藤もそう。彼は20何年前かな、『新潮』に『ユダの季節』を書いたんだけど、これは皆さんもお読みになってほしい。当時の文壇の若手ボスだった吉行淳之介、『中央公論』の新進編集長でいわゆる「新現実主義者」達のプロデューサーだった柏谷一希等をやり玉に上げてやっつけまくっているんだが、それを読んだときにそのやり方があまりにも低次元なので「コイツは本当に女々しい奴だ」と思った。文学者はみんな女々しいんだから。そういうことは否定しない。然し、ゆがんだ女々しさはダメだ。
秋山 どうしたらいいですか?
康 人間おおらかにならなきゃ。
南 おおらかで退屈にならない。これは大変だね。白夜書房は?
末井 企業は同じになっちゃうんですよ。
南 なるべく面倒くさくなくしたいからね。
康 うーん。面倒くさいのは好きですね。
南 とことん違うよね。
康 面倒くさいのはとことん面倒くさく、そうでないのはさっぱりと。リスクがあるのは嫌いじゃない。
秋山 一種の贅沢といってもいいかな。
康 中途半端が嫌いってことですよ。
・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋
---
福神研究所(ふくじんけんきゅうじょ)Twitter
『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店
---