虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

父との離別、そして再会(4)

農民たちを束ねて破竹の勢いで進軍する通称「パーロー」と呼ばれる毛沢東の八路軍に比べ、蒋介石の国民党軍は相当に腐敗しきっていた。実はあの戦争は半分八百長戦争のような部分があって、国民党は本気で戦う気力がない。アメリカからの援助物資が前線に届くと、その場で医療物資や食料、弾薬などを闇で取引して売りさばいてしまう。そして、アメリカ軍が監視に来るとその時だけ真剣に戦っているそぶりを見せる。それぐらい、国民党軍は腐りきっていた。

そんな中で、一時、国民党軍から抜けだして共産党軍で働いた父は、蒋介石が台湾に逃れるのとほぼ同時期に再び国民党軍に戻り、命からがら日本に逃げ婦ってきたらしい。父はいわゆる典型的な「大陸的」性格だったが、いっぽうこれも典型的な中国的ノンポリ人種で、どんな逆境にあっても泰然と構えており、先述したとおり、私の性格も多分に父からDNAを受け継いでいることはまちがいない。

ボストンバッグに詰めこんだ医療器具やペニシリン、アスピリンも、アメリカからの貴重な援助物資を前線で売りさばいていた国民党軍からかすめとったもののようだった。

・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く

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