虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

大西武サーカスの失敗(2)

しかし、私が入った翌年頃から、そんな「いくら点を取られてもいつかとりかえせる」といううぬぼれのような自信に満ちた雰囲気ではなくなってきていた。まさに連敗の長いトンネルに落ちこみ、這いあがれないのではないか、という陰鬱な空気が流れはじめたのだ。

まず、そんな予感を漂わせる最初のきっかけとなったのは昭和三七年に呼んだ「大西部サーカス」だった。この興行はさんざんな結果に終わってしまった。

これは大金を投じたわりにはあまりにもお粗末な内容だった。「大西部サーカス」と銘打つにはあまりにもいんちききわまりない演し物ばっかりだったのだ。

たとえば、目標に向けて二挺拳銃を西部劇のスターのように乱射する。などという見世物もカーテンのすぐうしろから別に人間が撃っている。しかも、弾の方向や硝煙からも、観客にはバレバレだ。それと、西部サーカスには欠かせない牛のロディオも最低だった。二枚目のカウボーイがさっそうと現れて、牛に飛び乗る。ここまでは拍手喝采で盛りあがるのだが、出てくるカウボーイがみな、二線級のものばかり。三◯秒もしないうちに暴れる牛に振りおとされてしまう。最初はご愛嬌かと思って、笑いながら拍手を送っていた観客も、いつまでたってもまともに乗りこなせないカウボーイにしらけきってしまったのだ。

観客というのは正直なものだ。当然、「あの大西部サーカスはいんちきだよ」という不評の口コミはあっという閥に広がってしまう。最後には九州にまで持っていって公演したけれど、客の入りはサッパリで最後には牛のえさ代も出ないありさまになってしまった。

この「大西武サーカス」の失敗で、いまのお金に換算してざっと一◯億円以上の赤字を出してしまった。ボリショイサーカスで稼いだ金も一気に吹き飛んでしまったのだ。

・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く

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