虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

人生は芸術なり---御木徳近師の支援(2)

上野の国立西洋美術館は連日、まわりに何周もの列ができるほどの盛況だった。美術館はじまって以来、といってもいいほどの大展覧会だった。彼もこの成功をことのほか喜んで、当時まだ生きていた高齢のシャガールにフランスまで会いにいったほどだった。

しかし、この興行は、連日盛況の入場者数と反比例して最終的にいまのお金で三億円ほどの大赤字になってしまった。世界中の美術館からの借り賃とか、高価な絵を運ぶ特別輸送料や保険料などがかさんでしまったのだ。大盛況で入場者がいくら多くても、美術展ではそんな高価な入場料はとれない。まさに採算度外視が現実となってしまったのだ。

しかし、この企画は「大西部サーカス」の赤字とはちがって、我々に救いの手を差しのべてくれる貴重な人が存在した。PL教団の教祖、御木徳近師だ。

当初、平凡社の最初のオーナー、下中弥三郎のところにスポンサーになってほしい、といったがいろいろと難癖をつけられて断られてしまった。そこで、当時、勅使河原蒼風や岡本太郎、丹下健三のスポンサーだった御木徳近師にお願いしたら、ほとんど二つ返事で了解してくれたのだ。情熱的にシャガール展の実現への夢を説く神彰に、即決で五億円ほど提供してくれたのだ。しかも何の担保や保証もつけていない。結局、二億円しか回収できず三億円ほどの赤字になってしまったが、彼は請求しなかった。

・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く

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