アミン大統領 VS 猪木 レフェリーはアリ:スポーツニッポン(昭和54年1月26日)より抜粋

アミン大統領 VS 猪木 レフェリーはアリ:スポーツニッポン(昭和54年1月26日)

仕掛け人は”例の”康芳夫氏

真の虚人はロマンを持っている

誤解しないで欲しいのは、「虚はゼロである」と私が言うこのゼロはどんな数字を掛けてもゼロになるというゼロともまた違うということだ。少しややこしい話かもしれないが、このゼロは冷徹なほどまったく何もない状態でありながら、同時に宇宙の森羅万象を一瞬にして表現してしまうゼロでもあるのだ。仏教で言うところの「空」に近いかもしれない。

ゼロ×一◯◯=ゼロであると同時に、一◯◯億でも一兆でもある、そんなゼロなのである。一瞬のうちにゼロが一◯◯億となったり、逆に一◯◯億がゼロとなることが、人の世における真の意味での「遊び」ではないだろうか、私はそう思う。

私は自分が仕掛けた興行が失敗して無一文になったことが幾度かあるが、自分をゼロを本質とする「虚人」だと思っているから、そんな事態になってもまったく平気なのである。

しかし、お金という虚を実体化している人は、お金が生活や人生の中に固定された実体になっているのでそれを失うことを恐れてしまう。お金とセットになって自分という人間が存在していると思うから、怖いのだ。

でも、虚=ゼロと思えば、仮に仕事で得たお金を失っても、ああ、そんなものかと思ってお終いである。お金を失っても自分まで失うことはないとわかっているからである。

また、世間で言う虚業家と私の言う真の虚業家、「虚人」が決定的に違うのは、いわゆる虚業家にはロマンはないが、「虚人」にはロマンがあるという点だろう。虚業家が「売り上げを一◯◯億円規模にしたい」だとか、「世界を相手に商売をする」というようなことを言っても、それは夢やロマンというものでなく、単なるビジョンや目標に過ぎない。「売り上げ一◯◯億円が夢」などと言う人は、本当は見えない悪夢で自分の人生を包んでいるのかもしれない。

・・・以上、虚人のすすめ―無秩序(カオス)を生き抜け (集英社新書)より抜粋