都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

隠遁作家のパフォーマティヴ:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その9

黄色人がこれほどまでに変貌を遂げた背景には、ナチス・ドイツを思わせる強力なイデオロギーが潜む。地球から新地球(テラ・ノヴア)に脱出した白人たちの宇宙艦隊が二〇六七年に地球を再訪したとき、彼らは再支配の政策上、黒人を捕虜として、放射能で遺伝子汚染された黄色人を獣畜として扱うことに決定したのだ。そのほうが輸送の折に「死亡事故などのとき、責任が軽くなるからだった」(同、五〇〇頁)。輸送係ローゼンバーグの提唱である。やがて彼の孫アルフレッド・ローゼンバーグは、二三世紀になって、大著『家畜人の起源』を発表するが、それは知性人類(ホモ・サピエンス)と知性猿猴(シミアス・サピエンス)は相違するもので、黄色人は実は人間ではない、猿なのだという驚くべき所説であった。彼は、古石器時代のネアンデルタール人とクロマニヨン人の形質の相違から、人類の祖先といわれるクロマニョン人の後裔の中に、実はネアンデルタール人の子孫である異種の知性猿猴(シミアス・サピエンス)がおり、それには疑似黄色人たる日本人があてはまることを、豊富な例証によって示したのである。以来、「かつて『進化論』が自由競争の自然法則視によって資本制を合理化したように『畜人論』はヤプーの非人間性の論証によって畜人制度を合理化した」(正編七二頁)。

こうした修正進化論をバックボーンとして、『ヤプー』正編は、クララと麟一郎が運命の彼肉によって婚約者同士から主人=家畜関係へと関係を転化させていくプロセスを物語る。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く

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奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

倒錯した性の世界を描き、戦後文学界に大きな衝撃を与えたといわれる奇書「家畜人ヤプー」の作者は「沼正三」というペンネームだけで全くナゾに包まれていたが、二日発売の月刊誌「諸君!」(文芸春秋社)十一月号で、団体役員で作家の森下小太郎氏が、この作者を東京高裁の現職裁判官、倉田卓次氏(六◯)であると指摘した。覆面作家とされた倉田氏は家人を通じて全面否定しているが、同誌では「沼氏」から届いた手紙などを証拠として論証している。一方、これまで同書の作者ではないかとみられていた新潮社校閲部の天野哲夫氏(五六)がこの日「私が書いた」”森下説”に真っ向から反論、真相は”ヤブの中”へ−−−。

奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

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