家畜人ヤプー【ポーリンの巻】より

逆ユートピアの栄光と悲惨・・・2

ボードレールの「何処なりともこの世の外へ!」という切実な嗟息ないしは悲鳴が、出発を促して響く時、現実離脱の願望は、一個の軽気球よろしく、ゆらゆらと夢想の空へ舞いあがる。そして、現世への不満が他界への憧れの形をとるほどに熾烈な時、構築的な資質は、気球をひとつの反世界として虚構せざるを得ない。気球は、ついに人間の住み得ぬ、大気の稀薄な気圏にまで上昇し、そこに、この世界を織りなす布地とは別の布地から成る球体として、昼の月のように浮き漂うであろう。ユートピア的夢想の美しさと虚しさとをふたつながら湛えて!虚しさ?---いや、その球体の輝きが、われわれの住む地上にむかって、どんなに尖鋭な批評の毒を逆照射しないとも限らないのである。

プラトンのアトランティス、荘子の無何有郷・・・・・・十六世紀の初頭にトマス・モアが一巻の『ユートピア』を著わす遥か以前から、ユートピア的夢想は、人類の想像力を刺激しつづけてきたもののようである。現在までに産み出されたユートピア、あるいはユートピア的と呼ばれ得る知的産物の数は、恐らく厖大なものであろう。したがって、その傾向も形態も千差万別、まことに予断を許さぬものがある。未知の海原にぽっかり浮かぶ理想郷、というような甘ったるい認識はとうてい許されない。

実行家の魂をも多分に持ち合わせていたシャルル・フーリエは、「情念引力」のアナロジーを梃子にして、社会生活全般がエロティシズムによって律しられるような乱交的構図を、革命後のフランスの真っ唯中に想い描いた。シラノ・ド・ベルジュラックは宇宙旅行にとび立ったし、ガリヴァは小人の国に漂着した。H・G・ウエルズはタイム・マシンを駆って時間の座標軸をくつがえすことを空想し、オルダス・ハックスレーは完全な蟻塚的社会を夢見た・・・・・・と並べたてていけば際限も無いが、極端な言い方をすれば、シュペングラーの『西欧の没落』さえも、壮大な世界の落日という、ユートピア的夢想の産物として、私の眼には映じる。

・・・次号更新【逆ユートピアの栄光と悲惨:家畜人ヤプー解説(前田宗男)より】に続く

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