沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)

劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち

沼正三のプロペラ航空機・・・11

私が考えたのは、ただ1度だけ、それも行為のことではない。10代の時ペニスをふとんに擦りつけていたら、思いもよらず射精した。なんの知識もなかったので、白濁したおしっこを見て、自分は糖尿病だと思ってしまったのである。悩みになやんだ。母親には言えない。出した状態が普通ではないと自覚していたからだ。本で調べ、友達に聞いて男の性を知ったのだ。たったそれだけが性を考えた体験なのである。あとは友人との少しばかり後ろめたい会話ぐらいのものだ。それも、「どこがセクシーか」位のレベルである。そんな身体の事など話すまでも無い。顔以上どこがセクシーだというのだ。性器はどうみてもみにくい形状だ。脚だ手だというなら、その人の想像力の強弱の問題である。

その点沼さんは探求心の深さが違う。特異性を解剖するところから出発し、快楽を身体と頭脳の往復運動として実践したのである。

1本の管と化するイメージは、変態性欲や性的倒錯や自虐趣味を地上に遺棄した、極北の想像力のように思える。

もちろん、ヒトの身体観としての管説は珍しいものではないだろう。食べて出すだけの管は平凡な日常の比喩だ。

沼さんの認識は別種のものである。他者の排泄物を通過させて生まれた実感なのだ。反証の手立てのない、構築されたイリュージョンの城壁なのである。

・・・次号更新【沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)より】に続く

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