沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)

劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち

沼正三のプロペラ航空機・・・2

本人も不思議な人ならそのイベントも又特別変わったものだった。

私はこの世にマゾヒズムなるものが存在することを知識としてしか知らなかった。生態などまったく理解していなかったので、沼さんのリアルなエピソードにおどろき、行為の跳躍力に唖然とし敬嘆することしきりだった。

会ったのは23歳の時だ。私は当時寺山修司主宰の劇団、演劇実験室・天井桟敷に所属していた。

寺山さんは30代の働き盛りで、朝から晩まで仕事に追われていた。劇団の前の喫茶店でも原稿を書き、それをバイクで新聞社が取りに来たりしていた。公演が迫ってスケジュールが詰まると、寺山さんが選者になっている雑誌の投稿詩コーナーの下読みをやったり、原稿の資料集めなどをスタッフが手伝った。

スタッフの1人で、後年寺山さんの弟として入籍した森崎偏陸は、

「海外公演に行くとああっ休める」

とつぶやいて安堵した。そう述懐していた。

普通海外の方が国内より遥かに大変そうだけれど、寺山さんの場合海外公演の幕が開くと、昼間原稿書きが無いのでスタッフも休めるのである。その時が森崎の年間スケジュール唯一の休日なのだ。

ある時、寺山さんが歌手の日吉ミミのコンサートの演出を引き受けた。歌詞を書いてもらったので、この際演出もやってほしいとプロダクションから依頼されたのだろう。

タイトルは「ひとの一生かくれんぼ」。

ひとの一生かくれんぼ

私はいつも鬼ばかり

という人生を少し嘆いたもので、田中未知作曲の物悲しい曲だ。

かくれんぼは寺山さんの文章にたびたび登場するモチーフである。

・・・次号更新【沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)より】に続く

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