参考資料(50年前):昭和版『家畜人ヤプー倶楽部』ご招待状

家畜人ヤプーの館の時代背景(3)もうひとつの家畜人ヤプーの世界!!日本初の高級SMクラブ『家畜人ヤプーの館』(連載4)

一方、プロ野球界においては、一九七〇年に黒い霧事件と言われる野球賭博に関与したとして、有名選手が永久追放等重い処分を受ける事態に発展した。特に阪神の江夏、ソフトバンクの前身西鉄ライオンズの若きエース池永とセ・リーグ、パ・リーグを代表する両投手の名前が報道された時は「ブルータスよお前もか」の心境に誰もがなったに違いない。それでも江夏は百万円相当の高級腕時計を暴力団から受け取ったが、戒告処分で済み、池永は同じく組関係者から現金百万円を受け取り、八百長の容疑で永久追放という野球人として死刑に等しい重罰を課せられた。

筆者がバーテンダーを勤めていた「スナック昆」は、ビルのオーナーの王仕福さんが巨人のスーパースター、王貞治氏の父君という関係から、巨人の選手はもとより多くのプロ野球関係者が出入りしていて、その中の一人に池永も含まれていた。私と同年ということで、自然と親しくさせてもらっていた。追放を受けて博多でバー「ドーベルマン」を開店したと聞いて、激励のため、博多までたびたび土曜日の深夜「ムーンライト」というプロペラ機を利用して駆けつけた。氏の人柄か、吉田拓郎や黒木憲といった有名歌手の姿を見かけたものだった。密かに巷には、巨人の陰謀説が流れていた。野球選手は、勝負師という性格を持ち合わせているせいか、ギャンブルに走る傾向があって、巨人の選手の中でもオートレースにのめり込んでいる者が少なからずいて、見かねていた正力オーナーが一罰百戒の意味を込めて、スケープゴートに池永を血祭りにあげたと、まことしやかな噂が流れたものだ。

学生運動も安田講堂、日大講堂、明大記念館などの拠点が次々と官憲に敗北し、最後に浅間山荘事件で鉄球で破壊されることで終焉を迎え、館も閉館へと向かった。

・・・次号更新【『家畜人ヤプーの館』 official HP ヴァージョン】に続く

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