家畜人ヤプーの館の時代背景(2)もうひとつの家畜人ヤプーの世界!!日本初の高級SMクラブ『家畜人ヤプーの館』(連載3)
また、一九七〇年十一月に、第一回日本歌謡大賞を受賞した歌手藤圭子にも、美の滅びを感じる。筆者はデビュー前の彼女の姿が、いまだにはっきり目に浮かぶ。
館の前身「スナック昆」時代に、新潟出身で東芝レコードの小田ディレクターに連れられて「圭子の夢は夜ひらく」のガリ版刷りの歌詞を配って、ギターを弾きながら年に似合わぬドスの利いた声で無表情というか、怒った顔をしながら歌いきって深々と頭を下げた姿が目に焼き付いている。そのあと、目の不自由なお母さんも合流し、一緒に食事をした頃は年相応な少女そのものだった。その彼女が、二〇一三年新宿の高層ビルから飛び降り自殺をした。
三者に共通するキーワードは滅びの美と言えるだろう。
・・・次号更新【『家畜人ヤプーの館』 official HP ヴァージョン】に続く
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その時上映していたのが、沼さんが出ていた「日本猟奇地帯」だったのだ。(後で調べるとその映画は「にっぽん’69セックス猟奇地帯」という中島貞夫監督のドキュメンタリーであった):沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)より #家畜人ヤプー pic.twitter.com/lF4foJ1NU7
— 家畜人ヤプー倶楽部 Executive Producer 康芳夫 (@yapoo_club) June 19, 2019
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