虚業家宣言(14):飛行機にクレイは乗っていない!
◆飛行機にクレイは乗っていない!
昭和四十二年二月。ついに、その日が来た。クレイ一行が、契約のために来日する日である。”虚”はここでまた大きく”実”に転化する、そう私は思った。
ところが、思いもかけない重大事件が突発したのである。
”一行出発”の報に勇躍して私と神さんはノースウエスト航空東京支社に行き、パッセンジャー・リストを再確認した。ハーバートの名はすぐに見つかった。ところが・・・無い!何度パッセンジャー・リストを見返してもクレイの名がないのだ。リストには肝心のモハメド・アリ、カシアス・クレイ、どちらの名も載っていないのだ。
いったい、何が起こったのか?神さんも私も青くなった。冗談ではない。もし、ここでクレイが来ないことにでもなれば、神さんのプロモーター生命は完全におしまいだ。私の履歴にもキズがつく。そればかりではない。無理算段して予約したオリンピック・スタジアムの違約金だけでも莫大な金額になるだろう。脇の下に冷たい汗が流れるのがわかった。
「オイ、どうしたんだろう」
神さんの声も心なし震えていた。
マネージャのハーバートがすでに飛行機に乗っている以上、問い合わせる手段もない。私と神さんは覚悟を決めた。
「こうなれば運を天にまかせてハーバートを待つしかない」
ただ、クレイが来れない事情がハッキリするまではそのことを新聞記者たちに気取られてはならない。それだけは避けねば。私と神さんは、事務所を抜け出し、姿をくらますことにした。
あのときほど、私はアメリカと日本の距離を長いと感じたことはない。できることなら、ハワイあたりまで迎えに行って一刻も早く事情を明らかにしたい、そう考えていた。それは神さんも同様だったろう。待っている間に神さんと私はブランデーをニビン空にしていたが、二人とも少しも酔わなかったし、味すら、感じなかったほどだ。
午後五時、一行の乗った便は定刻どおり羽田に着いた。
私と神さんが、その少し前に羽田に着くと、しかし、さすがに商売である、記者諸君はもうちゃんとロビイに来て待っていた。彼らの一人が私と神さんを見て叫んだ。
「この嘘つき!」
私はハーバートを抱きかかえるようにして用意した車に乗せるとフルスピードでヒルトン・ホテルに向かった。何が何でも、ここは記者たちをマイてしまうのが先決だ。彼らにワイワイ騒がれたんでは成る話もつぶれてしまう。
その点は私もぬかりがない。私はクレイ一行のホテルとして表面、ヒルトンを予約していた。が、一方、変名で横浜プリンスにも部屋を取っておいたのだ。そして迎えの車も二台用意しておいた。
前の車に神さんと私、ハーバート一行が乗った。二台目には事務所の若い連中を乗せた。案の定、各社の社旗をたてた車が追ってくる。
車が芝の大門のところにさしかかったとき、私は車をツイと細い横道にそらした。そのあとに事務所の若い連中の車、そして各社のハイヤーが続いて来る。その露路の途中まで来たとき、二台目の車が急停車した。後続車も当然止まらざるを得ない。ちょうど二台目の車が通せんぼする形になったわけだ。
「どうした、どうした」と記者たちが騒ぎ出した頃には、私たち一行の乗った車は、露路を通り抜け、進路を一転、横浜プリンスへ向けてスピードを上げていた。これで、まんまと記者たちをマイてしまった。
後で、記者たちはヒルトンに行ったがもぬけの空、悔しくて徹夜で張っていた社もあったらしい。お気の毒としか言いようがない。
・・・・・・次号更新【ファイト・マネー二十五万ドル】に続く
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