ali world heavy-weight boxing mash 15R.1972・4・1 NIPPON BUDOKAN

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◆バックナンバー:虚業家宣言◆

虚業家宣言(19):徴兵通知ですべては無に・・・・・・

◆徴兵通知ですべては無に・・・・・・

が、まさに、その日、その時刻である。AP電が恐るぺきニュースを伝えてきた。そのニュースを聞くと、神さんも私も、今の今まで祝杯をあげていたグラスを握ったまま、ヘナヘナとソファに坐り込んでしまった。

---その日、クレイに米陸軍から赤紙、つまり徴兵通知が来たのだ。クレイはかねて公言していたとおり、徴兵を拒否、すぐに裁判にかけられることになった。そのため国外に出ることは許されなくなった---AP電はそう伝えていた。

「徴兵委員の中に黒人はいないじゃないか。そんな不当な出頭命令には応じられない」

「オレはベトコンに何の恨みもない」

「オレをベトナムで戦わすより、オレのパンチでドルを稼いだ方が国家は得だ」

「オレに試合させさえすれば、二試合で新型戦闘機二機分の金を払うことができる。あるいは十万人の兵の給料を」

「徴兵拒否という私の立場は回教牧師としての私の信念によるものだ。私はそれがどのような結果をもたらすものであるかを十分承知のうえで、自分の良心に従いこの決心をした。

多くの新聞が、私に懲役か兵役かの二つに一つしか道がないような印象を米国民および世界に与えていることに強く抗議する。もし正義が勝ち、米国憲法にうたわれている正義が勝つならば、私は懲役にも兵役にも服さずに済むはずである。私は最後には正義が勝ち、私の生き方を続けていけるものと信じている。

一部の人々がタイトルを剥奪すると脅しているが、これは相も変わらぬ偏見と差別以外の何ものでもない。そのために私の将来にどのような変化が訪れようと、私は現政権の政策に反対している人々にも与えられている同じ権利が、私にもあることを主張し続けたい。私は世界ヘビー級チャンピオンだが、それは私に与えられたものでもなければ、私が黒人であるということや、私の宗教によるものでもなく、私自身の力でリングの上で勝ちとったものだ。

私からタイトル、取り上げることを望んでいる人々は私に不当な仕打ちをしているだけでなく、彼ら自身を恥ずかしめているのだ」

いつもなら、このクレイの痛快な言葉に、私は感動していたろう。だが、このときは、クレイの言っていることに何の興味も起きなかった。私はボンヤリと、それらの言葉を聞き流していた。

これは少し後の話になるが、クレイの宣言にもかかわらず、わずか二ヶ月後の五月、第一審でクレイが五年の刑と一万ドルの罰金を言いわたされるとともに、WBA(世界ボクシング協会)はクレイのタイトルを剥奪、クレイはチャンピオンでなくなってしまう。

AP電は、徴兵拒否裁判で、拒否者が勝訴した例のないこともつけ加えていた。

神さんも私も、もうどんなにあがいても、ムダだということを悟っていた。

ホラは結局、ホラにしか過ぎなかった。”虚”は”虚”のままに終わってしまったのだ。

新聞は手のひらを返すように、私と神さんを批判してきた。

”デイ・ドリーム”だったと書いたところもある。

<初めから実現不可能なことを知っていて、ホラをでっち上げ、スポンサーから金をまきあげるのだけが目的だった>と書いた新聞もあった。

何と言われ、何を書かれようと、神さんも私も、沈黙で答える以外なかった。男の仕事に言訳が許されないことぐらい私も知っている。

私は失敗した。

だが、この事件によって、私はクレイがますます好きになっていた。ベトナム戦争と人種問題という、現在のアメリカが直面している最大の課題に真っ正面からぶつかっていったクレイの生き方に、私は、打算だけで動いている現代社会への精いっばいの抵抗を感じ取ったのである。

不屈の抵抗精神、それは、まさに私自身の生き方とも通じ合うものがあった。

「いつの日か、もう一度、クレイを呼ばなくてはならない」

私は、それを自分の使命のようにさえ感じ始めていた。

結局、クレイ戦は、その後、四年、昭和四十六年六月二十八日、アメリカ最高裁が八対ゼロで徴兵忌避罪をノックアウトする後まで待たねばならなかった。

そして、そのときには、すでに『アート・ライフ・アソシエーション』は、マイルス・デイビス招聘失敗が直接のキッカケとなって、再び倒産、神さんは、十数年近い”呼び屋”の生活から、完全に足を洗ってしまっていたのである。

・・・・・・次号更新【第三章 出版界に殴り込む】に続く

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