康芳夫_philosophy
虚業家宣言(39):契約成立、だが・・・・・・

契約成立、だが・・・・・・ 八月九日、契約が成立した。私が初めてハーバートに接触してからすでに四年、今回、ニューヨークに来てからでも、もう一年近い日時が経過していた。 クレイのファイト・マネーは四十万ドル、邦価にして約一 […]

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虚業家宣言(57):第五章 私の青春時代

オヤジのこと 私は昭和十二年、東京・神田で生まれた。香港に兄が、それに妹がひとり、アメリカにいる。 オヤジは中国人だが、慶応の医学部を出て神田で開業していた。慶応時代には、藤山愛一郎氏と初等科からずっと一緒だったという。 […]

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虚業家宣言(4):戦後興行界の風雲児

1957(昭和32)モスクワ、ボリショイ・バレエ団初来日 【虚業家宣言(4)】 ◆戦後興行界の風雲児 後年、残念なことに私と神さんとは『クレイ戦』のプロモートのことで裁判沙汰に巻き込まれ、敵同士になってしまったわけだが、 […]

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虚業家宣言(29):”幻の作者”作戦成功す

”幻の作者”作戦成功す その内容からいって、ある程度、売れる予想はついた。だが、どうせ出すからにはベストセラーにしたい、”出版プロデューサー”として私は、今度は『ヤプー』の売り出し作戦にとり組むことになった。 とりあえず […]

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虚業家宣言(139):好意的だった地元住民(1)

好意的だった地元住民(1) 私たち一行八人が、すべての準備を終え、スコットランドへ向けて出発したのは九月六日だった。十時二十九分発のBOAC機が羽田を発った瞬間、私は自分のホラが大きくはばたいたのを感じた。 先発隊として […]

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虚業家宣言(74):狂乱のステージ(3)

狂乱のステージ(3) ガードマンの制止も聞かばこそ、スカートのまくれ上がるのも気にせずに舞台上に十五、六人の女性が上がりこみ、トムめがけて突進。そこで、また、 「プリーズ・キス・ミー」 いちいち応えるトム。 今までの日本 […]

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