康芳夫

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虚業家宣言(16):ハーバートが席を蹴った記者会見

◆ハーバートが席を蹴った記者会見

記者会見は翌日午後四時から、ホテル・オークラで開くことになった。ところが、当日になって、またまた難題が持ち上がったのである。

記者会見の一時間前になって、突然、ハーバートが、「対戦相手のフロイド・パターソンのOKを確認しなければ記者会見をボイコットする」と言い出したのだ。

私は大慌てでニューヨークにいるパターソンのマネ―ジャーに電話し、寝ていたのを叩き起こして(ニューヨークは深夜だった)手取り八万ドルでクレイと対戦することをOKさせた。

夜中に起こされて、八万ドル、八万ドルと言われりゃ誰だって驚く。パターソンのマネ―ジャーもさぞかし肝をつぶしたことだろう。だが、そんなことはかまっちゃいられない。こっちも必死だった。

予定時刻から十分遅れて記者会見は始まった。

記者たちは最初から、ケンカ腰で私に突っかかってきた。

ムリもない。

昨夜は私たちに完全に出し抜かれて、今朝の各紙の紙面は見られたものではなかった。《クレイ一行が到着した》ということは出ていても、何をしに来たのか、どこに泊まっているのかなど、どの新聞にも出ていない。まさか、《われわれは完全にマカレてしまった》とも書けないだろう。

記者たちの質問は次の三点に集中した。

一、コミッショナーは認可しているのか。

二、WBAの許可は取ってあるのか。

三、外貨使用の件に関し、大蔵省の認可は受けているのか。だいいち、あなたがたに、それだけの大金ができるのか。

私の答えは一種類でこと足りた。

「ペンディング!」

要するに、すべて接衝中というわけだ。

これを聞いて記者たちが騒ぎ出した。

「これはデモンストレーションだろう」

「要するに康のホラだ」

「できっこないよ」

日本の記者たちのあまりの無礼さにすっかりナーヴァスになったハーバートが席を蹴ったことで、その日の記者会見は幕となった。なんとも後味のよくない記者会見だった。

翌々日、ハーバート一行は帰国した。

いよいよ、私は”虚”から”実”への最後のステップへ踏み出すことになったのである。

・・・・・・次号更新【正力松太郎の別邸を襲う】に続く

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