肥田彬氏との出会い(2)
その彼が、クレイ戦の資金面を見てくれることになったのだ。私は、長い間、海上を漂流していた船が、やっと緑の陸地を見出したような気持だった。
資金面は彼にまかせて、あとは、一路、クレイ戦実現に邁進するのみだ。もう、JBCも協会も問題ではない。
十二月二十四日、私はデポジット・マネーの十万ドルをシカゴの銀行に送ると、その足で肥田氏とスイスのチューリッヒに飛んだ。西ドイツのユルゲン・ブリンとの対戦のためクレイはチューリッヒに来ていたのである。
ふだんでも静かなチューリッヒの街はクリスマスのため静まり返っていた。人もほとんどいない。あちこちの村の鐘がクリスマスを祝って鳴っていた。クレイを追ってアメリカからヨーロッパへ。長かった私の旅もようやく終わろうとしていた。
翌日の夜、クレイはブリンと対戦し、七ラウンド、強烈な左フック一発で、ブリンをマットに沈めた。
そして、その翌日、私はとうとうクレイとの正式契約を済ませた。
私が日本に帰り着いたのは、暮も押し詰まった二十八日。年の瀬の東京はごった返し、私の乗ったタクシーは羽田から赤坂の事務所まで一時間半もかかった。
新しい年、昭和四十七年が目の前に迫っていた。
・・・・・・次号更新【クレイ中国行きは演出】に続く
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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。
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