『家畜人ヤプー』秘話-沼正三氏の死に際し:康芳夫(談話)・・・2【新潮(2009年2月より)】
そうして、連載が中断していた『家畜人ヤブー』の続編が「血と薔薇」」第四号(昭和44年)に載りました。澁澤龍彦は発行元の天声出版と衝突して編集長を降りていたので、当時の編集長は平岡正明君でした。このとき、『家畜人ヤプー』が「奇譚クラブ」以外の場所で初めて活字になったわけです。ちなみに、これは余談ですが、文藝春秋を退社してフリーランスになっていた立花隆君は、実は私の推薦で澁澤龍彦の下での「血と薔薇」編集長に内定していたんです。ところが、諸々の事情の行き違いで、彼の編集長就任は実現しませんでした。彼がロッキード事件そのほかの田中角栄スキャンダル追及記事で大活躍する前のことになります。
僕が最初に沼さんに会ったとき、彼は40代でした。ああいうSMの世界の人たちはいろいろ知っていたけど、第一 印象は「陰鬱」というか、なかなか深い人だと思いましたね。「自分は沼正三の代理人ということにしておいてください」と言われました。初対面の日は新宿で深夜まで飲んで、いろいろ話したんだけど、まあ、やっかいな人物だと思いましたよ。やっかい、というのはその方面の趣味においてということで、一般市民としてはとても誠実で真っ当な人でした。彼は極端な躁鬱症で、鬱のときはほとんど死んだような状態でね。ニ時間でも三時間でも目が開いてるのかわからないくらいぼうっとしていました。
・・・次号更新に続く