ニッポン最後の怪人・康芳夫

昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(8)

世間的には、三島は遊び半分にやってると。しかし僕は、盾の会の若者たちは真剣だな、半端じゃないな、という印象を受けた。「これはやっかいなことになる可能性があるな」とね。

その頃森田は、千葉の習志野に落下傘部隊があって、そこに三島を連れて行って訓練している最中、落下傘で降りる時にやつの金玉が縮んじゃって「恐い」って言うんで、「私が飛行機から突き落としたんですよ」って話をしたことがあってね。この話を聞いた時、嫌な予感がしたんだ。一方で彼等は文学作品をあんまり読んでないし、森田は早稲田の学生だったけど、三島に対する深いコンプレックスと反感、そして崇拝があるわけだから。

オレにも最初はあの事件を、退屈しのぎの“遊びの結果”というふうに思いたい気持ちがあったけれど、それだけじゃないんだよ。もっと純粋なものがあって、そして実際、世の中が「鏡子の家」で三島が予言している通りになっちゃってるじゃない。何にもおきないいわゆる相対的な安定期でね、ますます世の中つまらなくなって、今に至って悪くなる一方だよ。三島の予言はまったく当たっていたわけです。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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