虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
お坊ちゃん学校に入学(2)
日本人の教師にも軍国主義的な先生がいて、よく学校をサボって遊んでいた私など軍隊調でぶん殴られた。それに、何といっても一九三七年からはじまった日中戦争のおかげで、日本人には中国人を白い目で見る風潮が広まっていた。私もその先生から「そこのチャンコロ!」と大声で怒られたのをいまでもはっきり憶えている。これは日本人が中国人を馬鹿にして呼ぶ時に使う明白な差別用語だ。子供の頃、胸に突き刺さったこの言葉に私は特別な思いがある。その教師は授業中でも平気で「おまえの親爺は中国人でどうのこうの」と同級生の前で私を馬鹿にした態度で話していた。もちろんすべての先生がこんな言い方をするわけではないが、何というか一種独特の疎外感が私の体中に漂いはじめたのは事実だった。
学校ではよくけんかをした、やはり上級生や同級生から「このチャンコロ!」と呼ばれると、私も気が強いので負けずに上級生をぶん殴った。本来、暁星はお坊ちゃん学校でおとなしい生徒の集まりなのだが、当時はやはり、みな、何か戦争中の異様な興奮状態に巻き込まれていたような気がする。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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オリバー様ご一行七月ご来日:東京新聞(昭和51年4月20日 火曜日)
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